2012年8月29日水曜日
対唐謀略書だった『日本書紀』
『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録15:5頁
《対唐謀略書だった『日本書紀』》
「対唐謀略書だった『日本書紀』」
この日本の使節の唐に対する不信は、
当時の唐の行為をみると、至極、当然のことだった。
唐はその直前に、
新羅を援助するという名目で朝鮮半島に出兵して、
現実に高句麗と百済を滅ぼし、
同時に新羅の本国だった小国・日本が、
百済の本国=大阪の豊日倭国(フジワラ)政権を倒して取って代わった。
ところが唐は返す刀で今度は半島で新羅を攻め始めたからである。
この日本と唐の危機的状況を無視しない人なら、
その同じ時期に後(のち)の『日本書紀』を編纂する原案が
企画されたのは何のためだった、直感で充分理解できる。
『日本書記』が漢文で書かれたということと、
当時の日本人がほとんど読み書きができなかった事実とを考え併せると、
それは国民向けの歴史書などではなく、
対唐宣伝用文書であり、
唐の日本侵略思考を喪失させるための謀略書として作られた
『唐政府向けのニセ日本史』だったのである。
『唐書』の露骨な日本人不信、
疑惑特記から読みとれる通り、
『日本書紀』の実態もまた、
革命直後の日本政権を
『太古から奈良に君臨してきた千古不抜の強力な正統政権』
だと唐政府に信じさせるのが目的の、
史実無視の『ニセ正史』だった。
それは天武天皇の故郷である鹿児島県の小国日本の歴史を、
いかにも奈良県での史実のように改装することに、
『日本書紀』編纂以外にも莫大なエネルギーを使っている事実が、
自ら明らかに証言している。
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