2012年8月9日木曜日
古今『長谷ん野 物語』
『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録14:21頁
《古今『長谷ん野 物語』》
「古今『長谷ん野 物語』」
これで、3世紀より以前に、
種子島にポセイドンと呼ばれた地域が実在し、
そこは今なおその当て字の読み替え音で
「ハセンノ」と呼ばれていることが、
おわかり戴けたと思う。
種子島は平坦な島で、
長谷ん野は、
中種子町と南種子町とにまたがって広がる高原地帯といったところ。
雪は数十年に一度降る程度の温暖な気候だから、
まさに南海の楽園である。
奴国の首都・野間から、なだらかな下り坂になっていて、
今では戦後入植した人々の手で、
見事な畑に生まれ変わっているが、
戦中戦後、私(加治木義博)が訪れたころまでは、
雑草生い茂る広大な荒れ地で、馬が放牧されていた。
もともと嶋津藩藩政時代の軍馬の牧場だったが明治六年に廃止された。
私事を付け加えると
明治十年、
渡島した私の祖父・龍太郎が武家の商法で豚の放し飼いを試みたところ、
豚は丸々とうまく育ったが野生化して猪同然になり、
捕らえるのに手こずったという笑い話しが、
今も古老たちに語り継がれている。
その荒野が古代のポセイドン族の移住地(イオニア)、
のちに福岡県に大移住した奴国の祖国。
さらに中臣=藤原氏の出身地だったのである。
そこには今、
南端に南種子町の首府・上中(かみなか)があるが、
そこは本来は「中之村」で、
ナカトミはここの長(おさ)を「中祇(ツミ)」と呼んだものを、
沖縄系の名詞を全て訂正した鹿児島語人が、
ツをトに改めたものとみるのが合理的である。
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