2015年10月20日火曜日

≪アズミ族の正体≫アプカッルの神話


 出典:歴史学講座「創世」 小嶋秋彦

 ≪アズミ族の正体≫アプカッルの神話

 課題:龍の登場しない龍宮伝説の真相
    ―海洋安曇族の主祭神「海童(わたつみ)」の故郷―

 出典:「最古の宗教 古代メソポタミア」
    ジャン・ポール・ボテロ
    松島英子訳
    法政大学出版局
    第四部「神々」―宗教:知性と権力の技術的機能
    372~375頁

 古代メソポタミアの社会においてエアに相当する人物を捜すとすれば、

 あまりよくは知られてはいない神話だが、

 アプカッル(apkallu)の神話を手がかりにすることができよう。

 この神話は、文明と技術の「発明者」であるエンキ/エアが、

 いかにしてそれらを歴史に導入し人間に教えたのかという問題に、

 答えるものである。

 この神話は当初の姿では残っておらず、また正確な内容もわからない。

 部分的ながら復元してみる必要がある。

 まず第一に、前3000年頃「バビロニアのべールの神官」をしていて、

 この古い歴史を持った国の「哲学」と歴史との要説をギリシア語で著した

 べロッソス(Berossos)自身のスケッチに頼ることにしよう。

 彼は説明する。

 バビロニアにおいては、数多くの人間がよそからカルディアの地

 (メソポタミア南部の、ペルシア湾に隣接した地域)に

 やって来て住み着いたが、

 彼らは動物と同様の粗野な生活を送っていた。

 最初の年に、紅海からやってきたオアネスという名の異様な怪物が、

 岸辺に現われた。

 彼の身体は全体として魚のそれであったが、

 頭の下にもう一つの頭が挟み込まれていて、それは人間の頭であった。

 足の陰にも人間の足と同じ足が見えた。

 この姿を人々は記憶にとどめていて、

 今日でもそれを再現した像を作っている。

 この生き物は、人間の間にまじって、食物を何も採らずに日々を過ごし、

 人々に文字、あらゆる種類の科学と技術、

 町の建設、神殿の建造、判例の集成、幾何学を教えた。

 同様に穀物(の栽培)や果物の収穫などについても明かした。

 要するに、彼は人々に文明生活の基本となるすべてをけたのである。

 それが完璧であったがために、それ以来人々は(この問題に関して)

 これ以上素晴らしいものに遭遇することはなかった。

 日没時には、オアネスという名のこの怪物は、

 夜を過ごすため水の中に身を沈めた。

 彼は水陸両棲生物だったからである。

 後になって同じような別の生物が現れた……。

 ベロッソスが別の箇所に書いているところによると、

 やはり紅海からやって来た魚人で、

 それが大洪水前の王朝に関係するこうした存在は、

 合計七人いたという。

 ベロッソスは常に信頼のおける著者である。

 そしてまた、シュメルやアッカドの文学伝統のなかから、

 彼の記述に合致する箇所、

 こうした由緒ある言い伝えを垣間見せる部分を

 少なからず拾い出すことができる。

 ある祓魔テクストのなかに挿入された短い神話は、

 七人の素晴らしいアプカッルについて示唆しているが

 ここでアプカッルはメソポタミア特有の詩的想像力においては

 華麗さと輝きとの典型とされる鯉に比定されている。

 そしてまた、

 「天と地とのために神々が立てた計画の成功を保証した」

 ともされている。

 一方、有名な「エッラ叙事詩」は、

 「そのパトロンであるエアと同様に、

  (彼から)並外れた巧妙さを付与された、

  神聖な鯉なるアプスーの七人のアプカッル」に言及している。

 もう一つ別の資料はセレウコス時代のリストであるが、

 それぞれ1 人の君主の治世にかかわり、

 君主の傍らにあって賢人の役割を果たしたと見られる

 一六人の人物を列挙している。

 こうした賢人たちは、オリエント世界にあっては、

 助言者として伝統的に王のすぐそばに配されているもので、

 アラブ世界ではこうした人々を「宰相」と呼んだ。

 一六人の人々は三つのグループに分けられている。

 最後のグループに属する八人については、

 エサルハッドンの治世(前680-669年)を最後として

 古くは大洪水の時代まで遡るが、

 彼らにはウンマーヌ(unmanu)という呼称が与えられている。

 二番目のグループの人々は大洪水時代に、

 また第一のグループの人々はそれ以前の時代に位置づけられるが、

 両方合わせて八人を数え、どれもアプカッルと呼ばれている。

 これらを総合すると、

 アプカッルは神話時代、

 すなわち大洪水とそれ以前の時代のウンマーヌに他ならないことになる。

 ところで、アッカド語のウンマーヌという語は、

 ある種の器量を備え、全体として賢人、

 文人などと呼ばれる人々を指すが、

 それだけでなく、それぞれの専門分野において

 とりわけ優れた職業人を指しても使われる。

 たとえば、上述のリストが言及している者たちの若干は、

 他の資料によって書き手もしくは「著者」であったことが知られている。


 たとえば一人は「エッラ叙事詩」のそれ、

 別の一人は「ギルガメシュ叙事詩」のそれとされる。

 王に仕える非常に熟練した専門家の様態なのである。

 メソポタミアにおいて、われわれはウンマーヌの典型的な例を

 いくつか見いだすことができる。

 一つだけ挙げれば、マリの王ジムリリム(前一七八〇年頃)

 に仕えていたムカンニシュム(Mukannism)がこれに相当しよう。

 思考や精神を純粋に思弁のために用いるということが

 まったく知られておらず、

 実現と成功が知識と知性の最終目標であった土地では、

 これらの概念が同じ一つの語で表現されることは、

 なんら驚くべきことではない。

 そのようなわけで問題のウンマーヌは、

 王の賢い助言者であると同時に、

 メソポタミアの権力者は例外なく、

 若い時分に知識や技術問題の理解という幅広い分野に関しての

 手ほどきを受ける機会を持たなかった。

 しかしこうした事柄の重要性は、

 高度に発展した効率的な手法の伝統にもとづいて、

 生産をあげたり、有用財に加工したりすることに専念する

 「産業」社会においては、とりわけ大きいのである。

 権力者の側近に技術に熟練した専門家がいることは、

 必要不可欠なことであった。

 神話は歴史時代におけるこうしたウンマーヌの像、

 すなわち名高い賢者、深い考察力の持ち主、すべてを知り、

 的確明敏にあらゆる事柄を解決する能力を備えた人物像の記憶を、

 神話の時代に移しかえ、

 さらにそこにシュメル社会でウンマーヌの最上級にあたる

 アプカッルの呼称に示される、いっそう輝かしい光を付与した。

 熟練した技術者、比類なき知恵者、名高い才人アプカッルは、

 いまだ粗野な生活を送っていた人間に、

 文明生活の基盤となるあらゆる事柄を教え、

 文明化を促した英雄と考えられたのである。

 べロッソスがはっきり規定しているように、

 文明生活の基盤とは文字、科学、技術である。

 ギリシア人、さらには現代のわれわれにしても、

 メソポタミアの人々とくらべれば

 これらのカテゴリーを一つ一つ明確に識別している。

 彼らメソボタミア人は、伝統的で効果的なやり方のみを意識して、

 それらのやり方が要請するものが、主として手を使うことなのか、

 それとも精神を使うものなのかという問題を、重要視してはいなかった。

 アプカッルたちはそのパトロンであるエアと結びついていた。

 最初のアプカッルは

 アダパ(「賢者」三七〇頁)という異名をもっていたが、

 先に挙げたセレウコス時代のリストから知られる名前は、

 まさにウアンナ/オアンネス(Uanna:Oannes)であった。

 エアはこの地の歴史に文化を導入するために、

 アプカッルたちを使った。

 技術上の大きな発展、高度な文明の諸要素の継承は、

 メソポタミア南部、

 ついでバビロンの町を世界の文化の中心地に押し上げた。

 ここにおいてもまた、

 われわれはアプカッルの神話のなかに

 痕跡をとどめている遠い歴史の記憶を

 切り離して考えるわけにはいかない。

 少なくとも、当時の人々がエンキ/エアについて抱いていた概念、

 すなわち生活上のあらゆる便利な物事、

 あらゆるテクニック、すべての文化の発明者であり、

 また、彼がそれを時間をかけ、特別に派遣した驚くべき人々

 すなわちアプカッルを通じて少しずつ人々に教えたことを、

 この神話がそれなりの手法で示しているのは、

 白日のごとく明らかである。

 しかしそれと同時に、われわれはそこに人々が、

 エアとアプカッルの間に

 密接な類似性を想定していたことを見るのである。

 人々の信仰心、

 あるいは神学がエンキ/エアに付与した伝統的なタイトルの一つは、

 まさに神々のアプカッル(apkal ilu)であった。

 このタイトルは後にその子マルドゥクに伝わることになる。

 《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等

 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

 Tell Arpachiyah (Iraq)
 Tell Arpachiyah (Iraq)    
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

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