2014年11月3日月曜日

大江戸:塩土老翁(塩椎神)の鎮座地(1)


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 『My ブログ』
 《考古学&古代史の諸問題》 
 《参考:年表・資料》

 《課題》江戸の古代を解明する
     ―地名が語る愛宕山、六本木周辺の始まり―

 ※出典:歴史学講座「創世」 小嶋秋彦

 ≪大江戸:塩土老翁(塩椎神)の鎮座地(1)≫

  塩土老翁(しおつちのおじ)は日本書紀に登場する。

 瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が天降り、

 膂宍(そしし)の空国を求めて

 通って吾田の長屋の笠沙の御崎に着いた時に、

 その地の神、事勝国勝長狭(ことかつくにかつながさ)に会う。

 そこで天孫が「國があるか」と尋ねると、

 「あります。刺(おお)せに従って献上します」といって、

 その領国を瓊瓊杵尊に差し上げたので、

 天孫はそこに滞在したという。

 『日本書紀』の「一書」は、

 この事勝国勝長狭の別名を塩土老翁というと記す。

 また海幸彦、山幸彦の物語にも登場する。

 山幸彦が兄海幸彦の釣針を失ってしまい

 困って海辺を彷徨っていたとき現れて、

 目無籠を作って山幸彦をそれに乗せ海神の宮へ送り、

 釣針を捜すよう案内した神として塩土老翁が現れる。

 『古事記』も同様の伝承を載せ、

 その神の名を塩椎神(しほつちのかみ)と称する。

 因みに『日本書紀』の目無籠を『古事記』は

 「无間勝間(まなしかつま)の小船」と表わす。

  『日本書紀』の神武天皇紀は、東征のきっかけになる、

 東方に美しい国があって、そこは山が四周を廻っていますと

 神武天皇に紹介したものを塩土老翁とであると記す。

 同神はまた塩土神、塩筒老翁と表記された。

 上記の三つの物語に共通する要点は

 常に「案内する」「紹介する」役目を果たすことにある。

 その性格を考慮すると、

 その音訓を「エンド(塩土)」或いは「エンドラ(塩土老)」とし、

 解釈することができる。

 つまり英語の introduce に結びつく。

 「導く、案内する、紹介する」の語義であるが、

 これはラテン語の同義語 into,indere に依る用語で、

 ギリシャ語の εναισωμι 

 (引き渡す、提供する、与える、見せる、示す)とも関係する。

 つまり、日本書紀の著述者たちは

 「エンドラ神」を「導き」の神と解釈していたのである。

 これは、メソポタミアのアッカドの創建者サルゴン王が

 瀝青を塗り込められた籠(シュメル語の pisan )に入れられて

 ユーフラテス川に流された物語や旧約聖書の出エジプト記の

 モーセの出生後に同様の籠の役目に共通する。

 籠に入った者は後に民族の指導者となる運命にある。

 だが、その本来の神格は西アジアからインドへやってきた

 インドラ Indra 神である。

 インドラ神はリグ・ヴェーダで多く語られる

 天界の最高位に坐ます天王であり、

 アーリア人がインド亜大陸へ進出して来た時

 多くの悪魔退治をした武勇の英雄神で、

 彼等を安全に新天地に定住させる守護神でもあった。

 アーリア人にとって「導き」の神であった。

 叙事詩時代になると、

 彼は相変わらず天界の最高位に

 座してはいたものの権威は失墜し、

 東方の守護神にもなっていた。

 しかし、インド人(商人たち)がインド亜大陸から

 東方のベンガル湾を経て、太平洋地域をへ進出していく時、

 その方面の守護神との趣旨もあったが、

 また開拓神の役目を負った。

 2世紀に始まったとみられインドの植民地的国、

 現在のベトナムに造られたチャンパ(林邑)には

 インドラプラ市が建てられ、

 11世紀までその名称は踏襲された。

《参考》

 ARPACHIYAH 1976

 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等


 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 本生図と踊子像のある石柱

Tell Arpachiyah (Iraq)
 Tell Arpachiyah (Iraq)    
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

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