2013年9月9日月曜日
丹波の倭王と、男性シンデレラ・継体天皇
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録27:21頁
継体天皇の即位には、先代の武烈天皇に子供がなかったので、
大臣たちが、丹波の桑田郡に住んでいた仲哀天皇の5代目の子孫・
倭彦(ウムイビコ)王を後継者にしようと迎えに行った話が詳しく出ている。
仲哀天皇はソナカであって、
息長(ソナカ)帯姫=神功皇后=卑弥呼の夫だった天皇である。
その「倭彦」という名乗りもそれを裏書きしている。
これまで見てきた丹波が単に種子島人の移住地だったというだけでなく、
そうした<卑弥呼系の人物>がそこに住んでいて、
大臣たちまでそれを知っていたという点を見落としてはならない。
なぜそんな田舎に<卑弥呼の直系の子孫>がいたのか?。
その答は、天の日矛(天の日槍)が多遅摩国(但馬)に行って
そこに子孫を残したと「応神天皇記」や「垂仁天皇紀」に明記してある。
もっともそのタジマは近畿の但馬ではなくて種子島だったことも、
近畿の但馬は、その種子島人が後世に移住した土地であることも、
私たちは詳しく知っているのである。
それなのに倭彦王は逃げてしまったから、仕方なく別の候補者、
応神天皇の6代目の子孫継体天皇を三国の坂名井というところまで迎えに行き、
次の天皇になってもらったのだと長い説明がついている。
ご存知のように応神天皇は仲哀天皇と卑弥呼の子ではない。
時間的にみても、
もう一人の<神功皇后・壹與>の子で
「邪馬壹国→日本国」の天皇なのである。
丹波の倭王と、男性シンデレラ・継体天皇
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