2013年9月24日火曜日
天孫降臨も神武東征も嘘にする「大阪湾・国生み」説
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録28:7頁
次は<卑弥呼>と<壹與>のどちらかが、
本当に大坂湾生まれだったかどうか?…の問題である。
<伊弉諾尊>・<伊弉冉尊>2神が、天から降った。
というのは、そのままには受けとれないから、
天の浮き橋は船であって、航海してはきたものの、
先住民の抵抗が激しくて、
小さな島以外には上陸できなかったからだとみれば、
この記事は史実としては合理的に生きてくる。
しかし<伊弉諾>・<伊弉冉>2尊が大阪湾に建国したとすれば、
その曽孫である「瓊瓊杵(ニニギ)の命の天孫降臨」は、なぜ必要だったのか?。
なぜ特記する必要があるのか?。
なぜまた大阪に比べて、はるかに辺鄙な日向などに降臨したのか?。
全然わからなくなる。
また、2神当時に、すでに皇祖が畿内に天降ったのなら、
その子孫である神武天皇はなぜ?
その辺鄙な日向から出発して東征したのか?。
これも全然わからなくなる。
も少し念入りに考えると、先祖が建国し、確保していた土地に、
なぜ、直系の子孫である神武天皇が、
はるばる九州のはずれから出発して攻め込み、
占領して新しい国とした上で、初代天皇として即位したというのか?。
橿原建国は何のためか、まるでわからなくなる。
その細部をみても、その占領地は神武天皇が、
塩土の老爺に「東に美地あり」と教わって初めて知った土地であって、
とても肉親の、近いご先祖が拓いた国だったとは思えない。
天孫降臨も神武東征も嘘にする「大阪湾・国生み」説
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