2013年9月4日水曜日

『記・紀』が消した『宋書』の名乗りが解く謎


 『Yahoo!天気・災害

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録27:16頁

 これもまた11頁の「神話化」と同じ動機で、

 天武天皇の必要やむを得ない改悪であった。

 いま非難するのは間違ってもいる。

 だが信じよという者は今の日本にとって最悪の敵である。

 そうした小細工は大化の昔には国益でも、

 今の世界では日本人を誤解させ人類の敵にする。

 こうして天武焚書(ふんしょ)を見抜くことができれば、

 天皇たちの本拠地は一人ひとり異なる名乗りの部分でわかる。

 反正天皇は『宋書』に「倭済」と書かれているから

 「倭済=ウワイズミ=和泉」で、

 河内に隣接する和泉もまた本拠だったとわかる。
 
 このように天皇たちの名乗りが異なるのは、

 その本拠が移動した証拠である。

 出発点と経由地は反正天皇以前の天皇たちの本国を示している。

 彼等がいた本拠地は『記・紀』と『宋書』を総合して読めばわかる。

 倭王・讃の仁徳天皇を見ると、

 『日本書紀』はその大鶺鷯(おほさざき)という名の由来を、

 誕生の時、産屋に鶺鷯(雀)に飛び込んだからだと故事つけているが、

 倭王・讃の「讃」の字は、

 持統天皇の名乗りが「鵜野讃良の皇女」で讃は「ササ」と訓むから、

 ササキは鳥ではなく讃にキのついた国名=「讃岐=サヌキ」のことだとわかる。

 すると大はオホで「淡」もオホ。

 淡は「アワ」とも読むから、讃岐(香川県)に隣接する阿波(徳島県)。

 何のことはない四国の東端の2国だったとわかるのである。

 『記・紀』が消した『宋書』の名乗りが解く謎

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