2013年9月21日土曜日
『日本書紀』と『古事記』の大論争
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録28:4頁
伊弉諾・伊弉冉の二尊は天照大神の両親で、
天孫・瓊瓊杵(ニニギ)の尊の曽祖父母である。
伊弉諾尊・伊弉冉尊は瓊瓊杵の尊の天孫降臨より、
はるかに前に、近畿地方にやってきたというのが『日本書紀』の主張なのだ。
では『古事記』はどうか?。
当て字が違うだけで、
伊耶那岐命と伊耶那美命が淤能碁呂嶋に天降って、
八尋殿(やひろとの)まで建てて住まい、
そこで水蛭子を生むが葦船に入れて流し、
次いで淡(アワ)嶋を生むが、これもまた子供のうちには入れなかったとある。
しかしその後も淡道之穂之狭別嶋を手始めに、
国々、島々と、山川草木の神々を生んだあと、
火之夜芸(やけ)速男神(別名・火之迦具(カグ)士神)を生んだために、
伊耶那美神は死んで黄泉国へ神避坐(かむさります)。
ご覧のとおり天照大神や月の神、素戔鳴(スサノオ)の尊は、
淤能碁呂嶋では生まれないし、
伊耶那美(イサナミ)命の子としても生まれない。
『日本書紀』の大日霎の貴とは全く別人なのだ。
こうして精密に『日本書紀』と『古事記』の記事を比較してみると、
一見、同じようで、多少の違いしかないように見えるが、
実はその内容は根本的に違っている。
表面ではいかにも同じ歴史を記録しているように装いながら、
その実は、
国家の成立と、
皇祖の中の皇祖である天照大神をめぐる建国史最大の問題について、
一大論争を展開していたのである。
『日本書紀』と『古事記』の大論争
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