2013年9月29日日曜日
中国地方を進んだ日本、四国を進んだ倭
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録28:13頁
九州から近畿へ丹波と播磨を運んだのは、確かに日本(ヤマト)だった。
しかし今みた地図で見ると、
そのうちの淡路島は四国を進んだ倭国と無関係だったとは思えない。
なぜなら反正天皇は倭の五王の一人、
倭王・済だったことは疑いないから、
彼は倭王・讃(仁徳天皇)が確保した阿波と讃岐から出発して、
大阪府南部の田尻に進出している。
彼の前の倭王・珍も茅沼(チヌ)(大阪府泉南)・
紀(キ)伊の(ノ)宮(キノ=チヌ=沖縄語、和歌山県)を確保している。
ということは、
四国から大阪、和歌山への最短距離に並ぶ淡路島と紀淡海峡の島々は、
徳島と和歌山と大阪とを結ぶ重要な三叉点にあるから、
倭王たちの重要な領土だったはずだからである。
だから淡路島は、同じ兵庫県だといっても、
丹波と同時の命名でないことは、
その当て字の違いをみても明かだ。
丹児は日本の当て字、淡路は倭の当て字だと分類する必要がある。
では次は、そのコースを倭の五王の名乗りで見てみよう。
それは阿波から淡路島、そして和歌山・大阪の順に確保されている。
西から東へ移っていることは疑う余地がない。
これは淡路島とは、
「阿波へ行く道の島」という意味の島名ではないことを証明している。
それは逆に大阪へ行く道の島だったのだから、
大阪のオオは「淡(オオ)」で
そこへ行く道だから淡路島と名付けられたといったほうが、
むしろ正確である。
しかしそれも間違っている。
中国地方を進んだ日本、四国を進んだ倭
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