2013年9月25日水曜日

淡路はヤマトと共に大移動した


 『Yahoo!天気・災害

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録28:8頁

 そこで入念に細かく考えてみると、

 そこの地名は茅沼(チヌ)の海でチヌは天やウチナ=沖縄でもある。

 伊弉諾・伊弉冉の二尊も伊是名(イゼナ)島に合う「沖縄名乗り」をもっている。

 己凝(オノゴロ)島は後世人がつけた名だから、

 あとに残るのは淡路洲だけだ。

 これは兵庫県の淡路島以外には侯補地はないのだろうか?。

 淡路の万葉読みは「タンジ」。

 前にみた丹児(ご)のタンジと同じものへの当て字であり、

 それは淡路(タンジ)→種子(タネジ)→丹児(タンジ)という

 当て字で表わせる地名だ。

 それは南西諸島から次第に大型化しつつ北に東に分布して、

 決して兵庫県の淡路島だけが独占している固有地名ではない。

 その移動は次ページの地図で一目瞭然だが、

 この地図では四国にだけ、

 このタンジがないように見える。

 だが、それこそ淡=アワ=阿波=徳島であり、

 問題の淡路島だったのだ。

 そこでは余りにも巨大化が激しく進んでいたために、

 サカ→サタという渡海点からは見落とすほど距離がありすぎたのだ。

 卑弥呼時代には種子島にあって、

 壹與時代に大移動が始まった奴国(ノマ)=野間は、

 野の漢字音はヤだから、野(ヤ)間=ヤマで野間人はヤマト。

 それは海(ハイ)人=ハイトと対立した山人=山幸で、

 山上(カミ)王とも書かれた位宮をも指すから、

 彼の政権もヤマト=日本と呼ばれた。

 この呼び方は『日本書紀』が冒頭の「創世紀」で、

 「日本は耶麻謄(ヤマト)と読め」と指示している。

 淡路はヤマトと共に大移動した

 淡路はヤマトと共に大移動した

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