2013年9月30日月曜日
サカとサタの分布とイソップの変種
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録28:14頁
なぜ間違っているか?。
それは淡路島は近畿で始めて名付けられた地名ではなく、
種子島・丹児・但馬と同じ語源をもつ国名の、
新しい分布地だとわかっているからである。
それは「淡へ行く道」などという道案内用の名ではない。
倭や日本と同様に、新植民地を支配する権力者の母国名、
すなわち出身地名で表示した新「領土名」だったのである。
方向を指示する地名のサカ→サタも、
大阪府に入ると姿が変わってしまう。
サカはサカイ(堺)で、むしろ種子島へ戻っているが、
サタは、はるかに北の守口市佐太以外にない。
さらに北上すると古代丹波だった京都こ嵯峨(サガ)があり、
相楽(そうらく)郡がある。
この郡は古音サカラカ。
しかしサタは出雲までいかないとない。
島根県八束(やつか)郡鹿島町に佐陀本郷と佐陀宮内とがあり、
ここは戦前は佐太村で、昔の国幣(こくへい)小社・佐太神社がある。
『出雲国風土記』島根郡加賀郷に「佐太大神のいます所」とあり、
加賀の神埼(さき)の説明に小文字で注記して
「佐太大神の産まれた処、
その産まれたとき弓矢がなくなった。
枳佐加地売命(キサカジメのミコト)が祈ると水面に角(つの)で作った弓矢が浮き出た。
命がこれではないというと、今度は金の弓矢が流れ出てきた。
命はそれを取って「この窟(いわや)は暗い」といって岩窟を射抜いた……」
という話が書き添えてある。
これは先にお話ししたイソップの『金の斧』の変形だということが、
すぐおわかりになったと思う。
サカとサタの分布とイソップの変種
サカとサタの分布とイソップの変種
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