2013年9月11日水曜日

名乗りで見分けられる倭国と日本の天皇


 『Yahoo!天気・災害

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録27:23~24頁

 着眼点は、「倭国」と「日本」の天皇の名乗りには違いがあるはずだということである。

        『日本書紀』             『古事記』

 応神天皇   誉田別(コンタワケ)              品陀和気(ホムダワケ)

 仁徳天皇   大鶺鷯(オオササギ)             大雀(オオササギ)

 履仲天皇   去来穂(イザホ)別             伊耶本和気(イザホワケ)

 反正天皇   多遅比瑞(ミズ)歯別            蝮之水歯和気

 允恭天皇 * 雄朝津間稚子宿祢(オアサズマチグァヤドネ)    男浅津間(オアサズマ)若子宿祢(ヤドネ)

 安康天皇   穴穂(アナホ)                穴穂

 雄略天皇   大泊瀬幼武(オオハツセワカタケ)          大長谷若建(オオハセワカタケ)

 清寧天皇 * 白髪武広国押稚(シラハッタケコウクニオシワケ)日本根子 白髪大(シラハッオオ)倭根子

 顕宗天皇   雄計(オケ)                袁祁(オケ)

 仁賢天皇   億計(オッケ)                意富祁(オオケ)

 武烈天皇   小泊瀬稚鶺鷯(オハッセワカサザキ)        小長谷若雀(オハセワカザキ)

 継体天皇   男大迩(オオオト)              袁本杼(オホド)

 安閑天皇 * 広国押武金日(コウクニオシタケカヌヒ)        広国押武金日

 宣化天皇 * 武小広国押盾(テケコウクニオシタテ)        建小広国押盾

 欽明天皇 * 天国排開広庭(チヌクニオシヒラキコウクニワ)      天国押波流岐(オシハルキ)広庭

 *印をつけたのは「日本国天皇」

 これは逆にご説明したほうが早い。

 欽明天皇の名乗りは[天=沖縄(ウチナ)・奄美(アマミ)]。

 国=狗奴で祖国(くに)でもある種子島・屋久島。

 排=オシは忍(オシ)・襲(オスヒ)と同じく大隅、これはオスミ→ホズミ→百済。

 開=ヒラキで開聞(ヒラキキ)などの薩摩、ヒラキ→シラキ→新羅。

 広=コウとヒロで高句麗と広之国(シマ)=広島。

 庭=ニワで丹羽→丹波を羅列したものである。

 欽明天皇はその名乗りと時期の一致が示す通り

 有名な高句麗・広開土王(こうかいどおう)で、

 高句麗も支配していたことは解明済みだから、

 彼は当時、沖縄から高句麗その他まで支配していた。

 いうまでもなくその本拠は南九州で、

 唐代に「日本国」と記録された鹿児島県域を確保していたのだから、

 彼と、同形の名乗りをもつ天皇たちは、

 間違いなく「日本国の天皇」だったと確認できる。

 倭国側の『古事記』は清寧天皇の「日本」を「倭」に変えている。

 同じことは「オシ」の「排=ハイ」の字は

 巴利(ハイ)国の南九州発音「ハイ」に一致しているので、

 これも神経質に「押」、の字に変えていることにも見られる。

 しかしいくら小細工をしてみても倭国天皇の名乗りと、

 *印をつけた日本国天皇の名乗りとは歴然と異なっていて、

 すぐ見分けがつくのである。

 名乗りで見分けられる倭国と日本の天皇

 名乗りで見分けられる倭国と日本の天皇

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