2013年9月13日金曜日
允恭天皇の水増しと、日本4天皇混入
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録27:26頁
まず名乗りの差がはっきり映像のように見せた答は、
允恭天皇が他の五王とは別の国籍をもつ事実だ。
この部分は仁徳から雄略までが6代あって五王に合わず、
問題を残したままの部分だった。
いま混入が明かになってみると、
「雄朝津間稚子宿祢オアサズ・マチグァ・ヤドネ」と読めることが気になる。
これは大隅語だと
「御座(おあ)さず(存在なさらず)まちぐぁ(間違い)やどね(だよね)」
という完成した言葉になる。
誰がなぜ挿入したのか不明だが、
編集時に故意につけ加えたことだけは明白だ。
これは淡海三船もよく知っていて漢風諡号(おくりな)を、
允恭天皇とは
「イン=居ない。ギョウ=形。=存在しないようにみえる天皇=隠形天皇」と、
よく考えて風刺してつけている。
彼は高麗を孝霊と当て字する才人である。
清寧天皇も
白=新羅、
髪(ハッ)=泊瀬=百済、
武=高市・高句麗、
広=広島、
国=種子・屋久、
押=大隅、
稚=茅沼~和歌山(チはキの国=紀伊国)、
それらの領土の総括名が日本であり、
根子とは「天皇・皇帝」を意味する称号で、
明らかに日本根子は日本国天皇である。
そしてその領土を受継いでいるのは継体天皇ではなく、
安閑、宣化、欽明の3天皇である。
以上の4天皇は間違いなく日本国天皇たちだ。
天武はなぜ?旧敵の日本天皇を混入したのか?
7~8世紀の国民が事実を熟知していたから、
天武らはそれを消去できなかったのである。
允恭天皇の水増しと、日本4天皇混入
允恭天皇の水増しと、日本4天皇混入
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