2013年9月2日月曜日

「倭の五王」の上表は中国への威嚇でもあった


 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録27:14頁

 その名乗りをみてみよう。

 『宋書』では記事が簡略で意味不明の点もあるが、

 初代の讃から5代の武まで一貫している名乗りは

 「倭・百済・新羅・任那・(加羅)・秦韓・慕韓・六(七)国諸軍事・安東大将軍」である。

 それらの国々に該当する地域をみると、

 国名  出発点   経由地と      該当国   植民地(すでに半独立国化している)

 百済  種子島   百舌鳥耳(モズミ)  穂積    韓国百済(確実に実在していた)

 新羅  開聞(薩摩) 知覧(薩摩)     白日別   韓国新羅(確実に実在していた)

 任那  三間(福岡) 三潴(みずま)(福岡) 水間    韓国任那(確実に実在していた)

 加羅  姶良(カラ) 唐津(佐賀)           韓国加羅(確実に実在していた)

 秦韓  大秦=沖縄 大阪茅沼      太秦(京都) 

 慕韓  ボハーラ(インド) 防府(山口県=長州→高句麗・長寿王=敏達天皇の都)

 安東  中国遼寧省安東(丹東(アントン))、鴨緑江河口。

     旧高句麗領。

     安東は対中国、倭国防衡の最前線だったから威嚇のため

     「七国諸軍事・安東大将軍」を強調したのである。

     今は「丹東」が公式名だが、

     その名にも種子島人の領地だった名残が強く残っている。

 倭   これらを引っ括(くる)めた連合国家群全体と、

     済なら大阪府・田尻に都を置いた本国名。

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 「「倭の五王」の上表は中国への威嚇でもあった

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