2013年9月20日金曜日
建国史最大の問題「国生み」の位置
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録28:3頁
私(加治木義博)が反正天皇と田尻に重点をおいて、
繰り返し念入りにお話しするのは、
それが『記・紀』神話の最重要部分である「国生み」の謎を、
完全に解く可能性があるからである。
なぜなら『日本書紀』本文は「国生み」の最初に
伊弉諾尊・伊弉冉尊が天の浮橋の上に立って、
天の瓊矛(ぬぼこ)を使って磤馭盧島(オノゴロじま)を造り、
伊弉諾尊・伊弉冉尊がその島に天降(あまく)だって、
男尊女卑を確かめてから淡路洲(しま)を生み、
次いで大日本(ヤマト)豊秋津洲から次々に島々国々を生んでいったと書いているが、
この磤馭慮島と同名の己凝島(オノゴロじま)が、
大阪府田尻町の南西わずか30kmのところ、
大阪府と淡路島を分ける紀淡海峡を鎖状につなぐ島々の中にある。
もっともその島は在来の学者でも、
「それではなく、より大きい友ガ島か、その付近の大型の島だろう」といっているが、
己凝島の位置がこの水域だということを疑った者はない。
そしてこのあと、同じ島で多くの国々、島々、山川草木を生んだ後、
大日霎(オオヒルメ)の貴(ムチ)(一書は天照大神と云う)と、
月の神と、蛭(ヒル)児と、素戔鳴(スサノオ)の尊を生んだと書いてある。
なんと!?、天照大神は関西空港に近い“大阪湾生まれ”だったというのだ……。
それなら天照大神だったことが疑いない卑弥呼は、
関西人であり、奈良県の大和にいても不思議はない。
「邪馬臺(ヤマト)国は大和だ」という説は当然だ。
ということになる。
建国史最大の問題「国生み」の位置
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