2013年5月25日土曜日
『古事記』の正体を自ら暴露した記事
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録23:30頁
《『古事記』の正体を自ら暴露した記事》
「『古事記』の正体を自ら暴露した記事」
今「雉の頓(ひた)使い(行ったきり帰らない)」
という諺があるが、それはこの話がもとだ。
下照姫の泣声が届いたので、
天津国玉たちは天降って喪屋を作って八日八夜、喪に服した。
そこへ阿遲志貴高日子根の神(アレクサンドロス)が弔問にきた。
すると家族はその手足にすがって泣き悲しんだ。
それは彼が若日子にそっくりだったからである。
しかし阿遲志貴高日子根の神は怒った。
「私は親友だからこそ弔いに来たのに、
汚らわしい死人と間違えた上、
汚れた手でさわった…」
といって十掬(とつか)の剣で抜き打ちに喪屋を倒り倒した。
それが落ちて美濃の河上にある喪山になった。
その太刀の名は
大量(ウハカリ)(upakarin ウパカーリン 援助者(すけっと)・堡塁(とりで))
または神度(シンド=印度)の剣という。
阿治志貴高日子根・味耜高彦根→
阿爾(アレ)之貴(キ)・高(サン)・日(サン)・子(サン)・根(タラス)。
この高(サン)はアラブ語、日(サン)・子(サン)はインド-アーリア語だ。
『古事記』の名詞は『日本書紀』の名詞を分かりやすく当て字化したもので、
パーリ語の原文を知らないことがわかる。
『日本書紀』にない付け足しの部分は、
もとの史書にあったものではなく、別の伝承からとったものである。
そのため史実なら天照大御神と下照姫、
また高御産巣日の神と思金の神(takkti=武内宿祢)は同一人だから、
ダブることは絶対にないのに、
ここでは全くの別人として書かれて、
編集者の無知を立証している。
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