2013年5月16日木曜日
月読の尊は卑弥呼の弟・彦狭島=海幸
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録23:20頁
《月読の尊は卑弥呼の弟・彦狭島=海幸》
「月読の尊は卑弥呼の弟・彦狭島=海幸」
「月読の尊」
天照大神の弟だから卑弥呼=倭迹迹日百襲姫の弟で、
孝霊天皇の皇子の一人である。
すでに伊声耆であることの明らかな彦五十狭芹彦でも、
素戔嗚の尊である推武彦でもないから、
残るのは唯一人、「彦狭島の命」だけである。
彼が種子島・屋久島から与那国島までの海の支配者、
海神・ポセイドンだったとすれば、
その証拠はどんなものがあるだろう。
「彦狭島」
名乗りの頭につく彦は「ゲン=毛の」に対する当て字で、
ギリシャ人を指すことはすでに考証済みである。
彼は種子島にいた垂仁天皇の皇后・狭穂姫の兄・狭穂彦だから狭島なのだ。
狭穂(ほ)は狭日(ほ)で、狭日国すなわち狭日国(さしま)なのであり、
「狭い」はアイヌ語でタンネ→種子の語源。彼は海幸山幸の海幸だから、
ぴったり海の支配者・ポセイドンなのだ。
これで天照大神一族の正体は、単なる物語り中の架空の存在ではなく、
『魏書倭人章』が客観的に記録に残した実在者・卑弥呼と、
その一族だったことが完全に明らかになり、
また神話的表現の『三貴子分治』とは、
現実にあった史実だったことが理解できた。
そしてそれと同時に、
その『三貴子分治』はギリシャ神話が描く
クロノスとその子供たちの神話そのままで、
それによつて、ソナカと結婚する前の卑弥呼の教義が、
ギリシャ宗教であったことまで、
私たちは欠けるところなく知ることができたのである。
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