2013年5月24日金曜日
パーリ語版『古事記』 『天の若日子物語』
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録23:29頁
《パーリ語版『古事記』 『天の若日子物語』》
「パーリ語版『古事記』 『天の若日子物語』」
以上の『日本書紀』の『天の稚彦物語』と
『古事記』の『天の若日子物語』とを比較してみると、
同じ物語りなのに根本的な違いがある。
その違いに注意しながら見てもいこう。
まず神の名の当て字が異なる。
「高御産巣日の神(高皇産霊尊)と
天照大御神(『日本書紀』にはいない)とが諸神に、
葦原中国に行かせた天の菩比(ホヒ)の神(穂日の命 繁栄王子)が
久しく報告しない。
次は維がいいか?」ときくと、
思金の神(takketi 思索・選択=武内宿祢=『日本書紀』にはない)が
「天の若日子がいい」と答えたので降らせたが、
彼もまた大国主の娘・下照比売と結婚して王になるつもりで
8年間も報告しない。
そこで
雉(kitti キッチー 名声、賞賛)の
鳴女(nati ナーチ 親族 ナチ→ナキ +女)に、
「若日子に葦原国の荒(あら)神を説得にやったのに
報告もしないのはなぜかと問え」と命じた。
鳴女が門前のの湯津楓(カエデ)からそれを告げると、
佐具女(sagameyya サガメイヤ 同郷の 十女)が聞いて若日子に
「嫌な声の鳥を殺して」と頼み、
若日子は鳴女を射殺した。
胸を射抜いた矢は
天の安河にいた高木(タケチ)神(高御産巣日の神)のところまで飛んで行った。
高木神は
「着いた血が敵を射た血なら若日子に当たるな。
命令に背いた血なら麻賀礼(禍(まが)あれ)」といって、
矢があけた穴から落とすと若日子の高胸坂に命中した。
これが「還(かえ)し矢」のたとえのもとだ。
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