2012年8月31日金曜日

奈良県にみられる字名(あざな)の異常さ



 『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録15:7頁

 《奈良県にみられる字名(あざな)の異常さ
 「奈良県にみられる字名(あざな)の異常さ

 この結論が正確であることを立証するものは他にも沢山あるが、

 もう一例だけお話ししておいたほうがいいと思うのは、

 特に奈良県にみられる字名の異常さである。

 地図をご覧になると一目瞭然だが、

 字というのは微小地域でしかないのに、

 それに付けられた名は、

 なんと古代の「大国名」が多いという事実である。

 いま問題にしている『箸墓』付近の地名を見ただけでも、

 出雲・豊前・吉備・備後があり、

 初瀬(ハセ)(百済)・狛(コマ)(高句麗)・白木(新羅)が

 揃っている。

 そればかりでなく壹與が沖縄で即位した都の名「与那原」まで、

 吉隠(ヨナバリ)という当て字で現存している。

 以上は桜井市であるが、

 隣接する地域にも百済(広陵町)があるし、

 天理市に備前・兵庫・武蔵があり、

 橿原市に飛騨、高取町に薩摩、三宅町に但馬、都祁(つげ)村に針(播磨・巴利国)、

 大和郡山市に伊豆、明日香村に桧前(ヒノクマ=肥前)などがあり、

 奈良市の佐保も種子島の古名「狭穂」が語源である。

 こんな地名が何の役に立っというのか…?。

 それは最後のサホをみれば一番よくわかる。

 この地名があるお陰で、

 本当は種子島で起こった歴史的大事件の「狭穂姫物語」が、

 奈良で起こった史実のように見えるために、

 過去の史学者は全員が騙されてきたのである。

 しかし、

 この事件は豊玉姫と山幸の悲劇で、

 この二人が奈良に住んだと信じる者など絶対にない。

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2012年8月30日木曜日

弥馬升だけでもわかる『記・紀』の実態



 『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録15:6頁

 《弥馬升だけでもわかる『記・紀』の実態
 「弥馬升だけでもわかる『記・紀』の実態

 『日本書紀』の実態は、

 これまで絶対視されてきたような「史実」ではない。

 それは真実の記録と誤解と改作が入り乱れた、

 奇怪な作品にされてしまっている。

 私たちはそれを出来る限り正しい史実に戻して、

 私たちの血を分けた祖先たちが何を体験し、

 どういう運命と聞いながら、

 今日の日本の基礎を築いてきたのか、

 はっきり認識する必要がある。

 それが本当の祖先を崇敬する第一歩なのであって、

 これまでは間違って正体不明の怪物を崇拝し、

 肝心の真実の祖先は捨てて顧みなかったのだというほかない。

 私たちの史実の復元が、

 どうでもよい二次的、三次的な研究ではないことを、

 よくおわかり戴きたい。

 『記・紀』の実態がどんなものか、

 ごく簡単明快に証明する証拠の一つに

 邪馬壹国の国名中の「弥馬升」がある。

 これを

 『日本書紀』は

 『崇神天皇紀』で御間城と写している。

 これは弥馬升を「ミマジョウ」と読んだのだ。

 だが弥馬升の発音は「ミマサン」が正しいから、

 後世の『日本書紀』編集者が無知だったことがよくわかる。

 ところが『古事記』は、

 これを御真木と書いている。

 これは弥馬升からは生まれないから、

 『日本書紀』の御間城をさらに「ミマキ」と読み損なって、

 新たに当て字したことの動かぬ証拠である。

 『古事記』は明らかに

 『日本書紀』を写した『偽書』で、

 「聖典説」は絶対に成り立たない。

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2012年8月29日水曜日

対唐謀略書だった『日本書紀』



 『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録15:5頁

 《対唐謀略書だった『日本書紀』
 「対唐謀略書だった『日本書紀』

 この日本の使節の唐に対する不信は、

 当時の唐の行為をみると、至極、当然のことだった。

 唐はその直前に、

 新羅を援助するという名目で朝鮮半島に出兵して、

 現実に高句麗と百済を滅ぼし、

 同時に新羅の本国だった小国・日本が、

 百済の本国=大阪の豊日倭国(フジワラ)政権を倒して取って代わった。

 ところが唐は返す刀で今度は半島で新羅を攻め始めたからである。

 この日本と唐の危機的状況を無視しない人なら、

 その同じ時期に後(のち)の『日本書紀』を編纂する原案が

 企画されたのは何のためだった、直感で充分理解できる。

 『日本書記』が漢文で書かれたということと、

 当時の日本人がほとんど読み書きができなかった事実とを考え併せると、

 それは国民向けの歴史書などではなく、

 対唐宣伝用文書であり、

 唐の日本侵略思考を喪失させるための謀略書として作られた

 『唐政府向けのニセ日本史』だったのである。

 『唐書』の露骨な日本人不信、

 疑惑特記から読みとれる通り、

 『日本書紀』の実態もまた、

 革命直後の日本政権を

 『太古から奈良に君臨してきた千古不抜の強力な正統政権』

 だと唐政府に信じさせるのが目的の、

 史実無視の『ニセ正史』だった。

 それは天武天皇の故郷である鹿児島県の小国日本の歴史を、

 いかにも奈良県での史実のように改装することに、

 『日本書紀』編纂以外にも莫大なエネルギーを使っている事実が、

 自ら明らかに証言している。

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新興日本の死活を賭けた対唐外交の実況



 『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録15:4頁

 《新興日本の死活を賭けた対唐外交の実況
 「新興日本の死活を賭けた対唐外交の実況

 「或曰 倭国 自 悪 其名 不雅 改 為 日本 =

  ある者は〔倭国自らが、倭国という名は良くないと嫌って、日本に改名したのだ〕という」。

 「或言 日本 舊国 併 倭国之地 = また他のある者は

  〔小国だった日本が、倭国を征服して、その領土を併合したのだ〕と言う」。

 「其人 入朝者 多 自 衿大 不以実対 故 中国 疑 焉 =

  しかし日本人の入朝者たちは皆、わざと威張って尊大に構え、

  言うことは皆どうも真実味に欠ける。

  だから唐の政府は、彼らの報告は嘘が多いようだと、全然信用していない」。

 ではこの改名の真相はどうか、

 本来なら時の経過とともに真実が明らかになるはずなのに、

 次の『新唐書』をみても、

 まだどちらが本当か確認できないでいる。

 これらを総合すると、

 「改名説」は情報源の日本の使節らが、

 自分たちの日本政権が、

 やっと成立したばかりの弱体で不安定な革命政権でしかない

 事実を唐が知ると、

 その弱みを衝いて日本を攻め取ろうとするに違いないという

 唐への強い不信感と警戒心から、

 態度を尊大にして大国民らしく振る舞い、

 大国の倭国が単に改名しただけだ、

 と説明したのだということが容易にわかる。

 また「革命説」のほうは、

 そこまで深く考えない日本や朝鮮半島からの商人などが、

 実際に聞き伝えた大化革命を、

 ありのままに語った情報であったことも、すぐわかる。

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2012年8月28日火曜日

なぜ『箸墓伝説』をわざわざ掲載したか?



 『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録15:3頁

 《なぜ『箸墓伝説』をわざわざ掲載したか?
 「なぜ『箸墓伝説』をわざわざ掲載したか?

 過去に「卑弥呼の墓」説が有力視され、
 3世紀以前から奈良に大和朝廷が実在した有力な証拠とされてきた箸墓古墳を、
 それほど重要な地位に据えてきたものは、
 『崇神天皇紀』の倭迹迹日百襲姫伝説=『箸墓伝説』があるからだが、
 その根拠はただ一つ、

 「ハシ墓」という古墳名が、

 「箸」と同じ発音だというだけのことでしかなかった。

 しかもそれを『三輪山伝説』群や、

 「卑弥呼の位宮との争いと死」の史実と、

 精密に比較検討してみると、

 それは百済(ハッセィ)=長谷(ハセ=ハシ)という

 位宮の名乗りの一つを「箸」のことだと誤解した

 後世人が作り上げた「単なるお話」であって、

 「百済(ハシ)と争って自殺した」という史実を、

 「箸で自殺した」という想像説に変え、

 それを更に、

 同じ発音をもつ百済(ハシ)人の墓に結びっけて、

 倭迹迹日百襲姫の墓だと思い込み、

 あるいは思い込ませようと意図的に「箸墓」にしてしまって、

 いかにも史実のように

 『崇神紀』に掲載した、というのが真相だった。

 するとここで旧『唐書』の記事が重要な証言として不動の重みをもつ。

 旧『唐書』は「東夷」中の「倭国・日本」章で、

 「倭国」と「日本国」はそれぞれ独立した2カ国で、

 「日本国は倭国の別種なり」とはっきり書き分けている。

 いま注目する必要があるのは、

 そのうちの日本国の記事にみる、

 唐政府の疑惑をあらわにした特記である。

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大学講義録14、本講座 既講 要点リスト



 『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録14:33~34頁

 《大学講義録14、本講座 既講 要点リスト
 「大学講義録14、本講座 既講 要点リスト

 すでに本講座で説明済みのものは、

 大学講義録14では省略してありますから、

 必要なものだけをここにリスとアップしておきました。

 注としてご活用下さい。

 他の著書まで入れると限りがな竜繁雑になりすぎますので、

 それは省略しました。

 大学講義録14の頁      講義録号数 ページ

  3  ヤマト           大学講義録9・25頁、大学講義録11・6~8頁 

  4  女王国                   大学講義録8・3~12頁

  4  狗奴国                   大学講義録4・7~8頁、大学講義録13・12~24頁

  4  2人の帯方郡使           大学講義録1・15頁

  4  伊都国                   大学講義録4・11頁、大学講義録11・9~12頁

  5  卑弥呼のいた地域         大学講義録4・15頁

  7  山幸と山人               大学講義録5・23~24頁、大学講義録9・15頁

 10 巴利国とパーリ           大学講義録3・24~25頁、大学講義録9・13頁

 11 八幡                     大学講義録8・16~17頁

 14  ソナカの移動経路         大学講義録4・5頁、大学講義録12・24頁

 15  小国・日本               大学講義録9・11頁、大学講義録11・17頁

 16  ギリシャ地名             大学講義録12・11頁

 20  百済                     大学講義録5・7~13頁

 20  藤原氏の出身地           大学講義録12・20頁

 21  奴国・野間               大学講義録8・18頁

 21  イオニヤ                 大学講義録7・10~12頁

 22  壹與=赫夜姫             大学講義録9・19~21頁

 24  斯馬国                   大学講義録11・21頁

 25  イオ(魚)族             大学講義録9・1~10頁

 28  比売許曽                 大学講義録3・23頁

 28  アカイヤと四神           大学講義録4・11~12頁、大学講義録12・7~21頁

 28  明とカルと鹿児           大学講義録5・15頁、大学講義録6・17~19頁

 30  箸墓                     大学講義録5・13頁

 30  丹                       大学講義録4・13頁

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箸墓を248年とする編年は間違い



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 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録14:31~32頁

 《箸墓を248年とする編年は間違い
 「箸墓を248年とする編年は間違い

 しかし箸墓は日本の考古学では、

 ひときわ重要な地位に置かれてきた一大エポック・メーカーであった。

 それは、文献上、最初に記録された古墳であると考えられる

 『魏書倭人章』の「大冢(ちょう)」造営記事=卑弥呼の死後

 「大 作冢 経百余歩=大掛かりに、長径約150mの冢を作った」という記事を、

 日本「最古の古墳」築造記録と規定して、箸墓がその卑弥呼の大冢で、

 それが造成された248年から

 『古墳時代』が始まったのだと教え続けて来た。

 箸墓こそ日本建国史上、文化財のトップに位置する遺跡であり、

 初期ヤマト政権の成立時期を確定立証する最大の時標、

 最良の定点だとしてきたのである。

 箸墓と同年代土器は、248年の3世紀半ばを示す座標として、

 「古墳時代土器」編年の起点でもあった。

 ところが1995年12月7日、奈良県の桜井市教育委員会が、

 同市箸中の「ホケノ山古墳」が

 箸墓よりも古い日本最古の前方後円墳だと発表した。

 根拠は、

 同墳後円部の北側に付属する空濠(からぼり)の底から

 大量に出土した土器のほぼ全てが、

 薯墓造営当時の「布留O式」土器で、

 それもホケノ山古墳築造当時ではなく、

 築造後かなりの年月を経た後に、

 一纏(ひとまと)めにして捨てられたものであることが、

 明瞭にわかったからだった。

 こうして考古学上からも箸墓古墳は

 我が国古墳時代の最初の古墳ではなかったことが、

 大量の物証によって立証されたのである。

 ホケノ山古墳は箸墓から東に約200mしか離れていない。

 箸墓古墳は大きいから造営には大勢の人が動員されて

 付近の至るところに飯場が造られた。

 当然、大量の食器や調理器などの土器が必要だった。

 土器は破損し易く、破片は硬いから、

 日常裸足で歩いていた当時の人々には危険物だった。

 そのため空濠に捨てたのである。

 箸墓造営中に割れたものも捨てたが、

 造営が終って人々が引き上げる時には、

 大量の土器が不用になって捨てた。

 こうしたことは箸墓古墳造営以前にホケノ山古墳がなければ、

 箸墓を造った当時に不用になった土器を、

 ホケノ山古墳の空濠に大量に捨てることなどできない。

 仮に箸墓が先でホケノ山のほうが後に造られたのなら、

 箸墓造営時の不用土器を、

 存在しない古墳の濠に捨てることなどできないし、

 また古墳はなくても外濠だけあって、

 そこに捨てたのなら、

 ホケノ山古墳を造る時には濠に土が入って埋まってしまうはずだし、

 土を掘って古墳を盛り上げた跡が空濠になったのなら、

 そこに過去の土器片が堆積しているはずがない。

 ホケノ山古墳が箸墓より古いことは、

 どこからみても疑いようがない。

 卑弥呼の大冢から古墳時代が始まったという主張は、

 この箸墓を卑弥呼の墓だとする限り崩れてしまった。

 箸墓を248年とする編年も間違っている。

 箸墓の本当の築造年代は今後の研究課題なのだ。

 『崇神紀』の箸墓物語は、

 大和朝廷を古く見せ、権威づけるための時代付け用に、

 アカイヤ伝承を改作して百襲姫の墓に仕立てた、

 天武天皇流の8世紀の作品にすぎない。

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箸=丹塗り矢、箸墓伝説は誤解の産物



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 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録14:30頁

 《箸=丹塗り矢、箸墓伝説は誤解の産物
 「箸=丹塗り矢、箸墓伝説は誤解の産物

 著墓の由来は『崇神紀』の「埴安彦の乱」の次の、

 倭迹迹日百襲姫が大物主の妻になった話で、

 大物主は夜にだけきて姿が見えないため、姫が姿が見たいというと、

 「では明日の朝、櫛箱を開けてみよ。しかし驚くな」というので、

 約束して翌朝開けてみるとその正体は小蛇だったから思わず悲鳴をあげた。

 神は怒って三諸(みもろ)山へ姿を消す。

 恥じて後悔した倭迹迹姫の命(原文通り)は

 箸で急所を突いて自殺、

 大市に葬ったから、

 当時の人はそれを「箸墓」と呼んだ。

 というのであるが、

 これは神武天皇妃「比売多々良伊須須気余理比売」は

 大物主が丹塗矢(にぬりや)に化けて

 妃の母をレイプして生ませた子だという

 『神武記』の話や、

 八咫烏=建角身の子・玉依日売が川へ遊びに行って、

 流れてきた赤い矢を拾って帰ると、

 妊娠して男の子を生んだという

 『山城風土記』にある「下鴨神社の縁起」とも同じ内容で、

 元は一つの史実が様々に変形したものだというのが、

 もう異論の余地のない定説である。

 その本来のモチーフは赤い矢で、

 それを難しく丹塗矢(にぬりや)と書き替えているが、

 これには全て根拠がある。

 赤い矢はアカイヤヘの当て字、

 丹塗矢(にぬりや)は

 沖縄の古代信仰の聖地であったニルヤ・ヌリヤの名が赤を丹(に)と書かせ、

 ヌリヤを塗り矢と誤解して、

 お伽話化したものである。

 だから箸墓伝説はこの結婚話から変形した

 「百済(ハシ)の倭迹迹姫の自殺」話を、

 箸で自殺したと更に脚色し直して、

 全く無関係な百済王墓を百襲姫の墓に仕立て上げたものにすぎない。

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2012年8月27日月曜日

古代沖縄のギリシャ文明遺物



 『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録14:29頁

 《古代沖縄のギリシャ文明遺物
 「古代沖縄のギリシャ文明遺物

 ついでにお話しすると、

 古い沖縄にはアカイヤという名詞が、そのまま実在した。

 宮古島の古代伝承に、

 「日神と月神が人間に長寿を授けようと、

  アカイヤニザという青年を下界に派遣した。

  彼はシジ水(若返り水)と死水とが入った

  二つの水瓶(みずがめ)を担いで行くが、

  油断している間に、蛇がシジ水を全部浴びてしまう。

  蛇は脱皮を繰り返して長生きできるが、

  人間は残りの死水しか貰えなかったので、

  必ず死ぬのだ」という宿命説話がある。

 このアカイヤニザの「ニザ」は、

 鹿児島の「二才(ニセ)」と同じもので若者、青二才という意味。

 ところがこのアカイヤが何を意味するかわからなくなった後、

 それは日と月の家来なのだから「明り星」だとか、

 いや、

 それは東(アガリ)のことだとか考えた人があって、

 アカリヤニザとかアガリヤニザ、アカリヤザガマ、アカナーなどと様々に変形しているために、

 一層アカイヤが語源だという真相がわからなくなっていたが、

 沖縄の古い信仰、

 ニルヤという聖地にいる神の王の名

 「アガルイ大主(ウシュ)」も

 「アカリウス 水瓶(みずがめ)」で、

 水瓶座という皆さんよくご存知の星座名と同じものだから、

 ギリシャ文化が古代沖縄に濃厚に入っていたことは疑問の余地がない。

 そしてそのアカイヤと赤い国(アカイヤ)、

 明り星、上がり、明るい、赤いといった日本語が、

 すべてギリシャ語から生まれているという事実を、

 決して見落としてはいけない。

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卑弥呼の別名・阿加流比売は鹿児島姫 (一覧リスト解説)



 『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録14:28頁

 《卑弥呼の別名・阿加流比売は鹿児島姫
 「卑弥呼の別名・阿加流比売は鹿児島姫

 これでウマとコマが大と小を使った対語であり、

 それは馬と国の大小を分類すると同時に、

 名詞としても様々に使われていることがわかる。

 次に「クダラ」という発音はマレー語による読み替えで、

 サツマと同じくマレー語人が使った呼び名だったこともわかる。

 馬韓はマカラのはかに、クダカンともマカンとも発音できる。

 山口県の下関もまたクダカンと読めるし、

 馬関海峡に面しているが、

 この馬関はマカンと読める。

 さらに下関赤間が関ともいう。

 赤間は赤馬と同じで赤は南を意味するから南馬韓という意味なのだ。

 南を赤と呼ぶ語源は、

 ギリシャの南端、

 エーゲ海に面した国が

 「アカイヤ」と呼ばれたのと一致する。

 大分と大阪の比売許曾(ヒメコソン)神社は卑弥呼尊を祭る。

 その夫・天日矛(シポコ)は天稚彦(チビコ)と同一人で、

 日矛の妻は「阿加流比売(アカリウシメ)」=「明姫」。

 この「明」は鹿児島革でアカイ。

 応神天皇の明宮は明国(アカイヤ)の皇居という意味。

 阿加流(ル)は阿鹿児(アカル)とも書けるから鹿児之国(シマ)姫。

 このことの重要性は、卑弥呼が一名鹿児島姫で、

 その語源がアカイヤという国名だということである。

 靺鞨(マカラ)というのはインド神話の大魚の名。

 鯨は後世、ガジャ・ミナと呼ばれた。

 このガジャも鹿児島に「臥蛇(ガジャ)」島という名で残っている。

 鯨のクジラという発音は、

 大隅語でクダラの「ダ」を「ディ」と訛り、

 そのディを種子島語で「ジ」と訛ったとみれば不思議はない。

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2012年8月26日日曜日

クダラからクジラ、語源は馬の国一覧リスト



 『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録14:27頁

 《クダラからクジラ、語源は馬の国一覧リスト
 「クダラからクジラ、語源は馬の国一覧リスト

 百済とその前身の馬韓に関連のある名詞を、

 見やすいようにリストアップしてみよう。

 小国・小馬 コマ  駒  高麗  高句麗    クマ   熊・球磨 クノ  狗奴国

 大国・大馬 ウマ  馬  大国  大之国(シマ) 奄美大島 ウラ   浦   倭国

 馬国  馬(クダ)国(ラ)    マレー語                 百済

 馬 韓    マ  カン   マ  カラ    靺 鞨

 馬 関    マ  カン   馬韓       馬津国  マツラ  松浦  末盧国

 下 関   クダ  カン   馬韓      (参考   下松 クダマツ  馬国津)

 赤間関   赤馬  韓  赤は南 アカイヤ 明国(アカイヤ)が語源 赤間関は南馬韓国

 卑弥呼は日矛の妻の阿加流比売(アカリウシメ)=明姫 阿鹿児之国(アカルシマ)姫=鹿児島姫

 靺 鞨    マ    カラ   馬韓    海の大魚  鯨

           ガジャ(象)・ミナ(海)=海の象=鯨(マッコウクジラ) 臥蛇(ガジャ)島

 クダ ラ              マレー語

 クディラ  「ダ」が「ディ」になるのは大隅語   大根ディコン 大仏ディプッ

       (肥満=デ プの語源)

 クダラ(マレー語)→クディラ(大隅語)→クジラ(種子島語)

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百済始祖王は九州にいた隼人『三国史記』の記録



 『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録14:26頁

 《百済始祖王は九州にいた隼人『三国史記』の記録
 「百済始祖王は九州にいた隼人『三国史記』の記録

 朝鮮半島の百済の前身だった馬韓(マカン)国。

 その名は何を意味しているのだろう。

 『三国史記』百済本紀第一の、

 始祖王の章に

 「其 世系 輿 高句麗 同 出 扶餘 故 以 扶餘 為氏=

  その王実は高句麗と同じく扶餘から出ている。だから扶餘を姓にしている」

 と百済王家が扶餘人=隼人出身だったことを特記している。

 扶羊風・扶揺風と書いて「ハヤのカゼ」と読む。

 扶餘もこれと同じ「ハヤ」という、発音への当て字の一つなのだ。

 ご存知のように位宮は高句麗・山上王だったから両王統に属している。

 この記事は真実である。

 また同じ章の二年と三年に

 「靺鞨(マカラ)が北の国境を荒らす」という記事が連続し、

 その八年には三千人が侵入してきて慰礼城を囲んだとある。

 この城の名は「イリキ」と読むと

 鹿児島県薩摩郡の「入来」町に一致するし、

 その靺鞨が兵糧がなくなって北へ戻ったのを

 追いつ追われつして戦った戦場も、

 大斧城(大野城(キ))=福岡、

 馬首城(マスキ)(益城)=熊本、

 瓶(カメ)山(亀山)柵=宮崎、

 立城(タキ=高城)柵=鹿児島と、

 全部が九州の地名と遺跡に合う。

 九州の北には朝鮮半島しかないし、

 そこにいて攻めてきた「マカラ」は、

 「馬韓」もまたマカラと読めるから、

 馬韓人だったのである。

 しかしこの時の馬韓人は必ずしも半島だけにいたとは限らない。

 馬の国=馬津国(マツラ)で、

 これは松浦=末盧国に一致するからである。

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2012年8月25日土曜日

朝鮮半島の百済は後世の植民地



 『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録14:25頁

 《朝鮮半島の百済は後世の植民地
 「朝鮮半島の百済は後世の植民地

 位宮や壹與がいた3世紀

 朝鮮半島には馬韓国が存在して、

 『魏書・東夷・韓』の章に、その国情が記録されている。

 その位置は後の百済とほぼ同じである。

 その中に百済と同じく

 「ハクセイ」と読める国の「伯済国」がある。

 これはその位置からいって百済の一族であり、

 後の百済王国の基盤を造った人々の国である。

 しかし朝鮮半島の百済が中国の文献に始めて現われるのは、

 5世紀に生まれた

 南齊の建元二年480年百済王・牟都の遣使記事からで、

 その前の『宋書』にある

 倭の五王の、初代・讃の名乗りの中に始めて出てくる百済の名は、

 その国がどこにあったか不明だが、

 仮にこれも朝鮮半島だとしても425年のことである。

 位宮の名乗りの一つ「穂穂手見」のポセイドンが、

 種子島の長谷ん野のポセイドンの名乗りである以上、

 朝鮮半島の百済は、

 後世にそこに移住した植民地(イオニア)であり、

 国民はイオ(魚)族だから、

 クダラという名は大魚クジラと無関係ではないはずだ。

 与那国のイオニア人から分かれた一族以外、

 持つはずのない特殊な魚の部族名を、

 国号にまでしているとすれば、

 やはりその出身地は朝鮮半島ではなく南海だと予測できるが、

 しかしクダラとクジラは少し違う。

 はたして本当に同じものなのかどうか。

 このよく似た名詞の真相が不明のままでは断定はできないから、

 次はその相互関係を検討してみよう。

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