2012年7月31日火曜日
卑弥呼政権崩壊で変貌した女王国
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録14:5頁
《卑弥呼政権崩壊で変貌した女王国》
「卑弥呼政権崩壊で変貌した女王国」
「女王国 2」
では、卑弥呼時代と壹與時代の2つの女王国は同じだったか。
それは支配者が変わっただけでなく、
信仰も版図も国民も変わった。
それを最もよく理解させてくれるのが、
前回すこしお話しした奴国(ノマ)である。
その国は旁国のいちばん最後に
「此 女王 境界 所尽=ここが女王国の境界が尽きるところだ」と書いてあり、
続けて「其 南 有 狗奴国」と書くから、
奴国が女王国の最南端の国だとわかるし、
『後漢書』の「東夷・倭」章に「倭奴国…倭国之極南海也」と書く国も、
この奴国以外にはありえない。
ところがそれと、全く同名の奴国を『魏書倭人章』は伊都国の次に
「東南 至 奴国 百里」と書き、
その戸数をなんと「二万戸」もある大国だと書いている。
伊都国から僅か6km弱しか離れていないのだから、
伊都国に駐在していた帯方郡使が間違えるような国でも数字でもないことは確かだ。
この大国・奴国から不弥国、邪馬壹国、投馬国までの4カ国の記事は、
帯方郡から伊都国までの記事とは
形式が明瞭に異なっていて筆者は明らかに別人だから、
伊都国までの記事は梯儁が書いたものだが、
奴国以下4カ国の記事は卑弥呼政権の崩壊で
変化した実態を張政やそれ以後の情報で
訂正追加した部分だとわかる。
壹與時代になると女王国は人々の大移動や版図の変化があって当然で、
明らかに卑弥呼時代とは別物になったのである。
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