2012年7月17日火曜日
卑弥呼が残した仏教遺物
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録13:19頁
《卑弥呼が残した仏教遺物》
「卑弥呼が残した仏教遺物」
いまも主婦を「オカミさん」、
料亭などの女主人を「オカミ」と呼ぶことも、
この「お上」の解釈が正しいことを証明する。
日本では江戸時代前期まで遊女は尼が支配していたし、
遊芸人は大隅一の宮=大隅八幡(鹿児島神宮)に所属して、
市(いち)とか検校(けんぎょう)、座頭(ざとう)といった位を受けていた。
それ以前には鎌倉時代の義経の愛人・
静(しずか)御前に代表される「歩き巫女(みこ)」があり、
その末裔として今なお青森・恐れ山のイチコなどがいる。
これらは全て原始仏教系の遺物で神道とは関係がない。
八幡も「大菩薩」という仏教名で呼ばれる。
このように卑弥呼の鬼道が仏教だったことは、
証拠が多数現存していて疑問の余地はない。
繰り返していうと、
彼女がシバを崇拝することは絶対にない。
天照大神と呼ばれても内容は正反対だったのである。
むろん彼女がシバ国を意味する「邪馬」国に居たり、
それを含む邪馬壹国などという国名をつけたり、
名乗ったりすることは絶対にない。
仮に邪馬壹国が間違いで、
邪馬臺国が正しかったとしても、
また邪馬臺が仮にヤマトと読めたとしても、
卑弥呼はそんな国には絶対に住まなかったことは、
誰にでもわかることである。
上屋久の邪馬国は、
やはり狗奴国の分身で、宗教上では一体の国だった。
屋久島の邪馬国と狗奴国は、
国名は2つに分かれていても実体はほとんど同じだったのだ。
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