2012年7月24日火曜日
二人の帯方郡使が聴いた邪馬の発音
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録13:26頁
《二人の帯方郡使が聴いた邪馬の発音》
「二人の帯方郡使が聴いた邪馬の発音」
この奴・邪馬・狗奴はもう一つ、大切なことを教えてくれる。
これまでみてきたとおり、
「邪」の字の漢魏音は一つでなく二つあった。
その理由はなにかということである。
奴国は野間だから「 no ma 」で「 O 」がある。
種子島は鹿児島県だから、沖縄語ではない。
邪馬国も屋久島だから鹿児島県で、
沖縄語ではないとすれば「 dzio ma」で「 O 」がある。
すると「 O 」のない「 dzia ma 」は沖縄語を写したものだということに1なる。
邪馬壹国は卑弥呼の死後に生まれた国だから、
最初に来た帯方郡使の梯儁(ティシュン)は知らない。
彼が知っていたのは旁国の邪馬国だけだったから、
それは九州北部の伊都国あたりの発音で、
「ヂオ マ」だったが、
卑弥呼の死後まで滞在した2度めの帯方郡使・張政が聴いたのは
沖縄の与那原で即位した壹與を女王に戴く位宮軍が、
卑弥呼政権を倒して建国した「邪馬壹」の発音で、
O 音のない沖縄語「 dzia ma ier ヂャマ イエ」だったのである。
これが当時の正しい発音で、
それも一人でなく、時を隔ててやって来た二人の帯方郡使が、
どちらも耳にした「邪馬」を、
沖縄と鹿児島との発音差があったにもかかわらず、
揃って同じ文字で表現している。
それが「ヤマト」や「ヤマタイコク」と聞こえたのなら、
いま復元しても、
そう聞こえる文字を当て字していたはずで、
絶対に邪馬や邪馬壹などと書くわけがない。
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