2012年7月5日木曜日

国名が物語る卑弥呼政権崩壊の全て



 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録13:7頁

 《国名が物語る卑弥呼政権崩壊の全て
 「国名が物語る卑弥呼政権崩壊の全て

 次に、邪馬壹国とはどんな国だったか、

 他の国名や地名とよく区別できるように、

 明瞭に特定できる特徴を、しっかり捉えておく必要がある。

 卑弥呼の君臨した倭国(ウワイの)は、そのウワイの名が明示するように、

 女性仏教徒中心の母系制度国家で、

 その遺風は推古、持統から称徳までの各女帝時代にみられるが、

 邪馬壹国はその仏教政権を倒して生まれた新国家なのだから、

 国家の根本理念である宗教や主義が、

 公孫氏の滅亡や高句麗惨敗という激動期に遭遇して、

 卑弥呼の不殺生=平和主義仏教=鬼道では亡国の恐れがあるとして、

 仏教と対立していた好戦的なシンドゥ教=神道の主張する国防第一の軍事国家へ、

 思想と信仰が大きく変わってしまった環境の激変を見落としてはいけない。

 すると邪馬の「 dzia ma ヂャ マ ・ dzio ma ヂォ マ」とは、

 シンドゥ教の大神・シヴァの別名

 「ジャマ」「ジォマ」を指す国名だったことが、

 はっきり証明されたことになる。

 しかし『魏書倭人章章』は宗教については、壹與を「卑弥呼の宗女」と書いている。

 だが壹與が新女王に即位したという記事は、卑弥呼の死直後のものだから、

 これは位宮が本来は高句麗王で魏軍と戦った人物だったその真相を、

 魏には絶対に知られてはならないと考えた人々が、真相を隠すために話した謀略であって、

 壹與が宗女だというのも真実ではありえない。

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