2012年7月20日金曜日
位宮が垂仁天皇だった証拠
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録13:22頁
《位宮が垂仁天皇だった証拠》
「位宮が垂仁天皇だった証拠」
卑弥呼政権を倒した邪馬壹国の最高宮は「伊支馬」だが、
彼のフルネームは垂仁天皇の名として明記されている。
活目はイキマで、沖縄発音ならイチマ。
伊支馬はこの双方に合うし、伊久米は「イキュウ・メ」で、
当時、高句麗山上王だった「位宮と目」の発音に合う。
陳寿は『倭人章』のある『東夷』中の『高句麗章』で、
「位宮は生まれてすぐ目が見えた。
彼の祖父の宮もやはり生まれてすぐ目が見えたから、
高句麗語で似ていることを「位」というので位宮と名付けた」と、
位宮という名の命名の由来話を収録している。
こうした由来話は多くは史実ではない。
それは何か疑問がある場合、
それを説明するのに資料がなければ、
想像でコジつけたものなのだが、
それでもコジつけるだけの根拠はある。
この位宮と目の場合は、
位宮と伊久は同じだが、
それでは米は何だという疑問に答えるため、
「米=メ」は目の、ことで、
それは祖父が生まれてすぐ目が見えたのと似ているからだと説明した形になっている。
この高句麗章の記事は日本の垂仁天皇の名乗りがもとになっている。
それなしでは生まれなかった説話なのである。
しかしそれよりも重要なのは、
すべて「宮」の字を、
キュウやクと漢音で読んでいるという動かない事実である。
もし祖父の宮と位宮がミヤやイミヤと呼ばれていたのなら、
弥耶とか位弥耶と書いたはずなのである。
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