2012年7月13日金曜日
久米島から平安政権まで
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録13:15頁
《久米島から平安政権まで》
「久米島から平安政権まで」
さらに、
この「高女」は「クメ・クミ」で
久米・久見という地名と姓として残っている。
高族の後裔であるカリエン人たちは、
いまミャンマーからタイ、
雲南省、海南島などに住んでいるが、
女性家長制と倭人章の記録そのままの貫頭衣と高床式家屋、入れ墨などを、
いまなお固く守り続けている。
卑弥呼らが守ろうとした女王国家は、
その高族が宝貝貨幣産業で栄えた沖縄の中でも、
特に久米島から出たという名になっていることを記憶してほしい。
また「高国王」は「コマキ」で高麗王、
小牧という名乗りや地名や姓に一致する。
これはさらにキをチと発音する沖縄語によって「コマチ」になり、
平安時代のよく知られた代名詞「小町」とは何だったかを教えてくれる。
その平安時代の有名な文学作品『竹取物語』では、
翁(おきな)が竹をとりに竹原(たかはら)へ行って、
竹の中から光り輝く少女を見つけだし、
赫夜姫と名付ける。
鹿児島語では今も竹薮のことを竹薮とは言わず「タカハラ=竹原」という。
タカは高であり、竹は高族を意味するパロディとして使われているが、
それはこの物語りの原産地が屋久島であるだけに、
鹿児島語で構成されているので、他の言語では真意は見出だせない。
だからこそそれは高い史実牲を秘めながら、
対立権力によって抹殺されることなく、
寓話として永い生命を保つことができたのである。
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