2012年7月9日月曜日
数字が教える国名と国境
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録13:11頁
《数字が教える国名と国境》
「数字が教える国名と国境」
この邪古という島の名は、少し考えてみると
「ヒ・フ・ミ・ヨ」という日本式数詞の8と9=ヤ・コに合う。
数詞で表現された地名(国名)が実在、したことはすでにみたから、
この屋久島がそれだとすると、
他に1から10までの地名があるはずである。
まずすぐ気がつくのは7に当たる「ナ」は奴国だということである。
その前の5・6にも藺牟田(いむた=イ・ム・た)という地名が
鹿児島県薩摩郡祁答院(けどういん)町にある。
4(ヨ)がつくのは鹿児島県鹿児島郡吉田(ヨしだ)町で、
これはヨとシという4の2音がそろっているので、
吉をヨシと発音する語源かも知れないというヒントとして重視したい。
3に合うのは
宮崎県北諸県郡三股(ミまた)町と、
熊本県水俣(ミなまた)市がある。
この水俣市の北には温泉で有名な
熊本県八代市日奈久(ヒなぐ)という広い地域があって、
1(ヒ)に合い、
2(フ)にあう地名も同じ八代市に二見(フたみ)という広い地域がある。
10に合うのは屋久島以南の十島村(トシマそん)で、
ここは伊都国からの方位も距離も投馬国はぴったり合い、
3世紀当時に10をトーと発音したことを今も立証し続けている。
これでわかることは屋久島は8と9の2つの国にわかれていたという事実である。
十島からみると
南半分が9の国で、
北半分が8の国、
すなわち八国(ヤマ)=邪馬だったのだ。
1 (ヒ) 熊本県八代市日奈久(ヒなぐ)
2 (フ) 八代市二見(フたみ)
3 (ミ) 宮崎県北諸県郡三股(ミまた)町・熊本県水俣(ミなまた)市
4 (ヨ) 鹿児島県鹿児島郡吉田(ヨしだ)町
5 (イツ) 藺牟田(いむた=イ・ム・た)鹿児島県薩摩郡祁答院(けどういん)町
6 (ム) 藺牟田(いむた=イ・ム・た)鹿児島県薩摩郡祁答院(けどういん)町
7 (ナ) 奴国
8 (ヤ) 邪古(屋久島上屋久島町:八国(ヤマ)=邪馬)
9 (ク) クノ国:屋久島(屋久町)
10 (トー) 十島村(トシマそん)
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