2012年7月3日火曜日
確定!邪馬国は邪馬壹国の前身だった
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録13:5頁
《確定!邪馬国は邪馬壹国の前身だった》
「確定!邪馬国は邪馬壹国の前身だった」
この邪馬が卑弥呼時代の旁国としては、
どこにあったか確定するためには、
精密な史実の確認と時間帯の整理が必要で、
そのためにはその国名が後世、
どこへ、どんな形で分布していったかを、
まず正確に把握しておく必要がある。
なぜならこの邪馬は、
女王が君臨する邪馬壹国の、
国名の前半=「邪馬」と全く同一名で、
後半の国名「壹国」は、
壹與や伊支馬や薩摩などという名乗りや地名と切り離すことのできない
独立した国名であることを、
私たちは既に確認済みで熟知しているからである。
邪馬壹国が壹與と位宮とによって建国された新政権の名であることは、
その国名がもつ壹が壹與と筆頭官・伊支馬らの
名乗りに一致することで簡単に理解できるし、
壹與の出身地が
「壹與の正確な発音 ier zio イエ ジョー」によって、
実在する同名の島・伊江島だったことも既に確認済みだから、
この名乗りと国名の関係を、
当時の国名の命名慣習、または命名原則であると認識すると、
邪馬も大学講義録13:3~4ページでみた地名が、
その伊江島と同格の地域にあり、
「邪馬+壹」という国名は、こうした二つの地名を重ねたものだとわかる。
卑弥呼時代には旁国の邪馬国は、まだ九州本土外にあったが、
位宮軍が九州本土に上陸して卑弥呼政権を倒したのちに、
始めて九州本土に邪馬壹国が生まれたのである。
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