2012年7月7日土曜日
248年に生まれた邪馬壹国
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録13:9頁
《248年に生まれた邪馬壹国》
「248年に生まれた邪馬壹国」
シバ神の名を国名にした邪馬のつく国が、
その仇敵である仏教国「倭」の国名であるはずがないことは、
小学生にでもはっきりわかる。
仮に邪馬壹国が実在したとしても、それが卑弥呼の国であるわけがない。
仮にそれがヤマトと呼ばれ、それが奈良県または畿内にあったとしても、
そこは絶対に卑弥呼の国ではないし、倭人(ウワイ)の国でもないのである。
これで過去に『魏書倭人章』と呼ばれてきた陳寿編集の『魏書』の一節「倭人章」は、
ヤマトという名詞とは全く無関係で、奈良県についてはもちろん、
九州各地の「山門(やまと)」について書いたものでもなかったことが、
完全にご理解いただけたと思う。
ついでに、頭に焼きつけておく必要があるのは、
旁国「邪馬」は、
卑弥呼時代には南九州本土にはなく、
南海にあった小国に過ぎなかった事実である。
それは位宮と壹與が卑弥呼政権にとって代わって新政権を樹立し、
倭人をシンドゥ勢力下に置いて、
初めて支配者の国名・邪馬壹国の中心になり大国化したが、
その時期は248年中で、それ以前は南海の旁国の1つに過ぎなかった。
だから「邪馬臺国」などというものは、どんなに無理を重ねて仮説を立ててみても、
卑弥呼時代にも、壹與時代にも、いや、その前にも後にも、また現代に至るまでも、
かつてこの地球上に実在したことのない、空しい妄想にすぎないのである。
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