2012年7月25日水曜日
国号「大和」はウワでヤマトではない
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録13:27頁
《国号「大和」はウワでヤマトではない》
「国号「大和」はウワでヤマトではない」
しかしそれから5世紀後の奈良には、
確かに「ヤマト」と呼ばれた人たちがいた。
その名はカリエン人が属する
アーリヤ人の主神シバの別名がヤマだったからで、
古く中近東に定着していた。
シバの女王で有名な賃のスペルは Yaman で、
イエーメンは英語訛りである。
しかしシバの名は日本列島へはヤマそのままではなく、
ヂャマという別名ではいっていたから、
ヂャナ・ヂャマと発音していたので、
謝名・邪馬と当て字された。
ところが中国が隋唐時代に入ると
邪の字は「ヤ」と発音されるようになる。
隋唐人は同族で朝鮮半島を北上して行った鮮卑族であって、
漢魏音と異なった発音で漢字を読んだ。
そのため漢魏音では「 dzia =ヂャ」だった「邪」を
隋唐人は「 jia =ヤ」と読んだので、
唐の発音が正しい読み方だと信じた人々は、
「邪馬人」を「ヤマト」と読むようになった。
ヂャマ教徒は〔ヤマト=ヤマ徒=ヤマ人〕と呼ばれ、
当時ウワと公称されていた仏教徒と、
はっきり対比して区別されるようになったのである。
仏教男帝の聖武天皇が造った奈良大仏の開眼供養に合わせて、
仏教女帝の孝謙天皇が天平勝宝4年(752年)に、
国名に「大和」という文字を採用したのは、
当然、「自分たち=仏教徒ウワ」を誇り強調するためで、
大は沖縄発音のウ、和はワへの当て字で、
絶対にヤマトではなかったことはいうまでもない。
『My ブログ』
古代メソポタミア
歴史徒然
ウワイト(倭人):大学講義録
ウワイト(倭人)大学院講義録
オリエント歴史回廊(遷都)
古代史つれづれ
古代史の画像
ネット歴史塾
古代史ブログ講座
ネット歴史塾
ひねもす徒然なるままに
「終日歴史徒然雑記」
「古代史キーワード検索」
『参考』
『言語復原史学会:Web』
『言語復原史学会:画像』
『言語復原史学会:画像』
『検索』
GoogleWeb検索
Google画像検索
YahooWeb検索
Yahoo画像検索
翻訳と辞書
リンクフリー〔UTF-8 対応版〕
《参考》
古代時代の考古学の最新発見・発表・研究成果
最新の考古学的発掘の方法
存在価値が問われる我が国の発掘考古学の現状
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿