2012年7月30日月曜日
代々女王国に属していた伊都国
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録14:4頁
《代々女王国に属していた伊都国》
「代々女王国に属していた伊都国」
原文を正しく検討すると以上のようになる。
念のため4と5を改めて再検討してみよう。
「女王国1」
伊都国の説明の最後に
「世 有 王 皆統 属 女王国 郡使徒釆 常 所駐=
伊都国は代々王のいる独立国だが、
『皆統(かいとう)=王統の全ての王』が、
女王国についていた。
倭国に派遣された梯儁と張政の帯方郡使は、二度とも、この国に駐留した」とある。
在来説ではこの「統」を「統治」と解釈して「続属する」などと読んでいたが、
この原文は「世有王」が主語だから、
「統」の字は「その代々の王たちの王統」という意味であって、
「皆続」とは「その王統の王は皆」という意味の熟語なのである。
また「属 女王国」は、
そのすぐ後(あと)に狗奴国は「不属 女王」だと書いてあるのとの対語で、
属国とは「つき従う国」「半独立国」だから、
伊都国は女王国とは別の国だが、
代々女王国につき、
味方してきた国であって、女王国の一部でもなく、
狗奴国のような敵対国でもなかったというのである。
ではこの記事は二人の帯方郡使のどちらが書いたものか。
「常に」と郡使を複数に書けるのは
2度めの使節の張政しかいないから筆者は張政である。
彼は卑弥呼に招かれて来倭して、
卑弥呼の死と壹與の即位を報告した。
卑弥呼時代から壹與時代へと変化しても、
伊都国は両女王国に属国としてつき従った事実を、
よく熟知して書いた明確な記録なのだ。
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