2012年7月29日日曜日

倭を呼ぶ5種類の名



 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録14:3頁

 《倭を呼ぶ5種類の名
 「倭を呼ぶ5種類の名

 卑弥呼政権を倒して新女王国・邪馬壹を樹立した位宮と壹與が、

 屋久島を出発して最初に南九州本土に上陸した地点が、

 山川という地名として残っていることまでで前回は終った。

 その後の戦闘の状況などは、

 卑弥呼と壹與を主題にした後の講座に譲って、

 今回は位宮らが都をどこに置いたかを、どうして確認すればいいか、

 お話しすることから始めよう。

 これまでは「邪馬壹国」という国名は、

 たとえば「邪馬台国の女王・卑弥呼」などという思い込みが強くて、

 卑弥呼が君臨していた「倭人達邦全体」の国名だと思っていた人が多い。

 ことに邪馬台国畿内説などは、

 それはヤマト=大和であり8世紀の日本と同じ国であって、

 奈良または付近の近畿地方に都して

 日本列島の大半を統治していた政権名であり、

 今の日本と大差ない国名だと思い込んでいた。

 しかし『倭人章』は次のように教えている。
                                     
 1 倭人   東の倭種と、北は狗邪韓国から

        南は侏儒(しゅじゅ)、裸国・黒歯国までの地域に住む人種名。

 2 倭    本来は仏教からきた卑弥呼政権だけの名だが、

        倭人居住地域の総称として使う略称。

 3 倭国   卑弥呼を女王に共立して団結していた小国連邦の全体を呼ぶ

        対外用の正式国名。

 4 女王国  連邦の女王が直接治めている所領国家群の全域。

        卑弥呼と壹與とで時代差がある。

 5 邪馬壹国 壹與即位時だけの女王国の首都名。

        今の市町村ていどの地方自治体サイズ。

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