2013年4月14日日曜日

観音は異教的な信仰=女神ウマーの介入



 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録22:18頁

 《観音は異教的な信仰=女神ウマーの介入》
 「観音は異教的な信仰=女神ウマーの介入」

 「ウマ」とよく似た「Uma ウマー」という名をもった女神が、

 仏教でいう大自在天(じざいてん)=シンドゥ教のシバ大神の后の筆頭にいる。

 前記の佐和隆研氏も

 「現実の生活の中において遭遇すると想像される種々の危難に対して、

 ただその名をとなえることのみによって即座に効果をあらわすという信仰は

 他の諸菩薩と比較して観音の著しい特徴といわなければならない。

 この観音と前後して説かれている

 文殊(もんじゅ)、普賢(ふげん)等の菩薩は

 大智・大悲の性格をもっているもので、

 それは完全なる覚者としての如来の性格の一面の具象化されたもので、

 仏教自体の展開によって成立した菩薩と考えられるものである。

 しかし観音のもっている性格は

 仏教本来の神としての如来の性格の分化した一面として、

 成立する面をもってはいるけれども、

 その具体的な危険に対する救済のことは

 仏教の教理的展開によって生み出されるものではなく、

 むしろ異教的な信仰の介入を思わしめる点が多いのである。

 すなわち変化観音の多くのものに大白在天妃ウマーの影響によって

 成立したものがかなり多く含まれているということは、

 すでに大村西崖氏が『観音の神話』(雑誌密教三巻~四巻)に説いているが、

 「この推定は観音そのものの成立にまで及ぼすべきものではないかと考えられる」

 といっている。

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2013年4月13日土曜日

観音信仰と共にインドから来た末盧の国名



 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録22:17頁

 《観音信仰と共にインドから来た末盧の国名》
 「観音信仰と共にインドから来た末盧の国名」

 松浦は、単なる当て字に過ぎない。

 それなのにその代表的な地域は海岸に沿った「浦」で、

 名勝・虹の松原などが、

 まさに見事な「松浦」を形成している。

 ところがその地名は松の木とは無関係で、

 馬の方に語源があったとわかった。

 これはもう一つの真実を教えてくれる。

 それは松をマツと発音するのは、

 この地域が語源だということである。

 その浦が「末(マツ)=馬津(マツ)」と呼ばれていたから、

 そこへの移住者がもってきて植えたその美しい木が、

 やがて「馬津が持って来た木=馬津の木=マツの木」

 という名で呼ばれることになったのである。

 だから植物の「マツ」という和名が生まれたのは、

 卑弥呼時代の末盧国以後のことである。

 『倭名類聚鈔』には

 郡名の部分の肥前国 管十一に「松浦=萬豆良」があり、

 植物の名の部の第百二十九に松があり、和名「萬豆=マツ」とあるから、

 命名は10世紀より前である。

 松浦の名は、この地名のルーツをはっきり教えてくれる。

 それは観音信仰の真の大本山・ボダラッカ山のある Madura マヅラである。

 松浦や末盧国はその故郷を壌かしんで、九州に同じ地名をつけた発音への当て字であり、
 卑弥呼と観音信仰の史実を語る生き証人なのだ。

 ではそれらの当て字に多用されている「馬」、それは一体なにを意味しているのだろう?。

 実はそれこそ変化観世音菩薩の謎を解く、「強力なキー」だったのである。



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2013年4月12日金曜日

幾重にも重なる証明をもつ下関=馬韓



 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録22:16頁

 《幾重にも重なる証明をもつ下関=馬韓》
 「幾重にも重なる証明をもつ下関=馬韓」

 だが念のため、

 他にもそれを証明するものがないかみてみると、

 下関が見つかる。

 そこは今はシモノセキと発音しているが

 「下」は「クダ」るの発音があり、

 クダはマレー語の馬で、

 下関に面した海は馬関海峡だから、

 その別名が馬関だったこともわかる。

 馬関=マカンで、馬韓と同音である。

 『魏書倭人章』の記事では帯方郡使らは海路、
 九州北部へ着くが、

 そこには末盧だけあって他の国名はないから、

 末盧と下関が対岸だった時代があったことは事実である。

 だからその時代に対岸へ移住した人たちがマカンと呼ばれたことがわかる。

 これは一見、朝鮮半島の馬韓から下関に入ったからマカンと呼ばれたので、

 末盧からなら「マツ○○」と命名されたように思えるが、

 しかし慎重に調べてみると下関の東に「下松(くだまつ)」がある。

 この名は馬をクダとマレー語読みしたものに、

 さらにダブって末盧のマツがついて「馬(クダ)・馬津(マツ)」という二重の名詞になっている。

 これは「タダラから来たマツ人の国」ということで、

 馬韓から下関に入った下関人とは別のグループだという表現である。

 だから下関人は必ずしも馬韓国から来たとは断定できない。

 以前にお話した朝鮮王の準は朝鮮から海を渡って韓へ逃げた。

 卑弥呼以前の韓国=カラクニは

 霧島の主峰・韓国見岳(からくにみだけ)から

 見下ろせる姶良(カラ)国で、

 それが北上して朝鮮半島の韓国になったのだった。

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2013年4月11日木曜日

タダラの語源と観世音の関係



 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録22:15頁

 《タダラの語源と観世音の関係》
 「タダラの語源と観世音の関係」

 観世音問題はこれで終わったわけではない。

 それは多くの国名に関わっているからである。

 卑弥呼当時の朝鮮半島の国「馬韓」。

 この国を「外国だ」と従来のような見方をしていれば、

 何もわからないままで終わってしまうが、

 海をへだてて対岸にあたる九州北部の国は、

 対馬と一大を経由して着く「末盧」で、今は「松浦」と書く。

 その発音をよく見ると、「マ=馬、ツ=津、ラ=国」で「馬の国」。

 馬韓と共通の国名で、海はへだてているが敵視する他人の国ではなく、

 一つの国が二つに分かれたために、

 区別が必要なため、やむなく別の国名にしただけで、

 両岸の末盧と馬韓の人々は、同族だったとわかる。

 その中間にあって、朝鮮半島にいちばん近い島の「対馬」も、

 その漢字は決して「ツシマ」とは発音できない文字で、

 これは「馬に対している島」すなわち「タイマ」が本来の発音だ。

 後世に奈良県に生まれた「タイマ=当麻」は、

 その特殊な発音がよく一致しているので、

 この対馬の人たちが運んだ発音に、新たな字を当てた地名だとみていい。

 こうした幾重にも重なった複数のデータが残っていることから、

 九州からか半島からか、

 どちらからどちらへ広がったかはまだ不明だが、

 どちらか一方にいた人たちが、やがて対岸にも移住して、

 そこも自分たちの国したことだけは容易に見てとれる。

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2013年4月10日水曜日

女性仏信仰が生んだ国名「倭(ウワイ)=優婆夷」



 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録22:14頁

 《女性仏信仰が生んだ国名「倭(ウワイ)=優婆夷」》
 「女性仏信仰が生んだ国名「倭(ウワイ)=優婆夷」」

 この強力な女性仏信仰のために、卑弥呼が去年にわたって君臨し、

 統治した倭国(ウワイ)連邦がパーリ語々源で『優婆夷』と呼ばれていたから、

 魏の政府もその発音に合わせて

 『倭国』と『倭人(ウワイ)』という文字を選ぶしかなかったのである。

 これがこの名詞の謎の動かない答えだ。

 これまでは省略してきたがここまで来たので、

 『優婆夷(ウワイ)』についてさらに詳しくご説明しておこう。

 中国では仏教徒を男性信者『優婆塞』と女性信者『優婆夷』と当て字しているが、

 これは実は正しくない。

 パーリ語では男性信者は upasaka ウパーサカだから『優婆塞』でいいが、

 女性信者は upasika ウパーシカーだから『優婆夷』ではないのである。

 なぜこんな間違った当て字が使われたのか?。

 それは ubbari 女性というパーリ語があり、

 これは「リ」を「イ」と発音する南九州語でピッタリ『優婆夷』に合う。

 古代中国では我が国を「黄海姫氏国(キシこく)」と呼んだが、

 それは女性上位の国という意味だから、

 卑弥呼から斉明天皇までの倭国政権と、

 持統天皇から孝謙天皇までの女帝優位時代は、

 まさに『優婆夷』国そのものだった。

 中国の『優婆夷』は観世音菩薩と同様に、

 南九州語が中国へ伝わったものに当て字したものなのだ。

 南九州語では「上に」をウワイと発音するが、「上に」はパーリ語で upari  、

 鹿児島でウワイを上井と書くのは、これらのパーリ語を使っていた証拠である。

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2013年4月9日火曜日

観世音を日本の仏と知っていた高麗人



 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録22:13頁

 《観世音を日本の仏と知っていた高麗人》
 「観世音を日本の仏と知っていた高麗人」

 しかしそれらの信仰が「まさかこちらから中国へ広まったとは考えられない」と、

 文化はすべて中国から朝鮮半島経由でやってきたと信じて疑わない人がある。

 だがこれには動かない証言が、権威のある記録として残っている。

 前にすでにお話しずみであるが、

 朝鮮半島の三国の正史である『三国史記』の最高責任者であった

 高麗の学者・金富軾(キムプシァ)、高麗が半島を統一(936年)した後まもなく、

 外交官の一員として中国へ使いしたが、

 そのとき中国の官吏が

 「すぐ近くに、昔、貴方の国から伝えられた神様が祭られた廟があります。

  たいそう信仰されていて、いっも参詣人たちで賑わっていますよ」と教えたので、

 暇をみてたずねて行ってみると、それは朝鮮から伝わった宗教ではなくて、

 日本から広まった観世音菩薩の廟だったと書き残している。

 これは当時の中国では高度の教養人だった官吏が、日本人と高麗人を同一人種だと信じており、

 高麗人の金富軾(キムプシァ)は、より厳密に国籍にこだわって、

 高麗と日本は別の国だと主張しただけで、どちらも間違いではない。

 それは明治以前の封建時代と現代の日本人観と同じことで、小さく区別するか、

 大まかな人種観でみるかの差でしかない。

 それはともかく、観世音信仰が日本から中国へ広まったことは、

 この記録で疑いの余地を残さないのである。       

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2013年4月8日月曜日

台湾、ギリシャ人+日本人?と天上聖母



 『Yahoo!天気・災害』 

 『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録22:12頁

 《台湾、ギリシャ人+日本人?と天上聖母》
 「台湾、ギリシャ人+日本人?と天上聖母」

 台湾は『後漢書』や『太平御覧』が注記に引いている

 3世紀の呉人・沈瑩(チンエイ)の『臨海水土誌』が書かれた当時から

 17世紀の明未まで「流求=琉球」と呼ばれていた。

 しかし後半は「小流求」になり、

 沖縄が同時に「大流求」と呼ばれたから、

 沖縄の支配下にあったことがわかる。

 『明史稿』の「鶏龍伝(キールン)」=基隆(キールン)は、

 平地アミ族の記録だが、

 勇を尊び奔馬のようにマラソンして一日百里を走る。

 男女とも髪を丁髷(ちょんまげ)に結い男は裸体で戦闘を好み、

 勝者も死者も共に讃える……」などと

 古代ギリシャ人+日本人に似た風俗を伝えている。

 右図の媽祖(マソ)像は中国本土からの移民がもって来た信仰で

 天上聖母とも呼ぶ鹿耳門(ルクイーモーン)天后宮のもの。

 この他にも「観音仏祖」と呼ぶ観世音がある。

 「図」媽祖(マソ)像





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