2015年9月13日日曜日

ヤーダヴァ族の勢力


 出典:歴史学講座「創世」 小嶋秋彦

 ≪アズミ族の正体≫ヤーダヴァ族の勢力

 超古代にアラビア海から太平洋へ航路を開いた阿曇族
 ―「船」を家とした人々の来歴―


 メソポタミアからやって来たかれらは、

 それ以前から居住していた

 ドラヴィダ族との間の意思疎通をシュメル語を中心にとする

 メソポタミアの言葉でも行なった。

 そのためラヴィダ族の間に現在コーカサス語族と共通性が

 多いといわれるタミル語などインド亜大陸の言語が

 成立したのだと考えられる。

 ドラヴィダ語の一つブラーフーイー語が

 バーロチスタンにに残ることは、

 ドラヴィダ族が

 インダス川流域にも居住していたことを物語っており、

 メソポタミアの言語を吸収する環境にあったとみられる。

 ヤーダヴァ族はマルワ地方から次第に進出して拡大したのである。

 アヴァンティ国は、ナルマダ河流域にいた土着民ナーガ族を

 征服して支配者になったと伝えられている。

 インドのアラビア海の奥カンベイ湾の海岸平野に

 ロータル遺跡がある。

 グジャラート市の南西80㎞に位置する。

 B・K・ターバルによると、

 紀元前2300年~1500年近くまで

 存続した海港の遺跡である。

 同市は乾煉瓦の周壁で守られ、

 その東側の外壁に沿って埠頭を

 付設した船溜まりが、

 長さ約200メートル、

 幅40メートルにわたり築かれていた。

 市内には穀物倉あるいは倉庫やビーズの製作炉と工房、

 銅鍛冶の工房の遺構が発掘されている。

 遺品としては印章、サイコロ形の分銅、円盤状のビーズ、ノミ、

 釣針・錐の銅製品や鋳塊、腐蝕紅玉髄のビーズなどで、

 海洋交易のための施設や、

 サルゴン王のメルッハからの

 輸入品に対応したような条件が

 ここにはみられる。
 
 印章の中にペルシャ湾式のものもみられ、

 明らかにメソポタミアとの交易を

 行なっていた証左となっている。

 ロータルはマルワ地方への入口の地に当たり、

 サバルマティ川などの河川を通して

 産品の集散に便利な地でもある。

 現在のニューデリ市の北西にハリヤーナ州があるが、

 そのクリシェートラ県にバグワーンブラ遺跡がある。

 この遺跡の紀元前1700年以降の彩文灰色土器の中に、

 破片ではあるが、

 北メソポタミアの

 アルパチア遺跡の彩文とよく似たものがあり、

 何らかの文化的伝播があったのではないかと思わせる。

 まずマルタ十字紋に円周をつけたもの、

 またこれも菊花紋状に月桂樹の葉を6枚を配列して

 その先を二重の円周で結んだものがある。

 どのような容器に使用されたのか不明であるが、

 アルパチア遺跡のものとの類似が単なる偶然とは思えない。

 紀元前18世紀の

 ユーフラテス川にハブール川が合流する少し下流の町

 テルカの民家から丁字が入った壺型土器がみつかっている。

 ここは現在のシリアとイラクとの国境に近く、

 ペルシャ湾からは700キロメートルも奥まっている。

 丁字は香料として貴重なものであったが、

 その原産地はインドネシアのモルッカ Moluccas 諸島である。

 マイケル・ローフは

 「メソポタミア交易網が極東に届いていたことを示す」とし、

 「その頃のチョウジの自然生息地は東インド」と指摘している。

 しかし、誰がそのような交易網を展開したのだろうか?

 日本語に香料諸島と翻訳されるモルッカの名は

 サンスクリット語の胡椒を意味する marica に由来し、

 その語もメソポタミアでもメルッハと呼んだ

 インド(マルワ)のことで、

 そこの商人たちの仕業にほかなるまい。

 紀元前18世紀の収穫地がインド亜大陸の東側であったにしても、

 メルッハの商人たちが種を運び込んだことによると考えられる。

 つまり、当時すでにインドの商人たちがベンガル湾を越えて

 太平洋まで活動を展開していたものとみられるのである。

 紀元前1500年頃アーリア人が、ヤーダヴァ族と対抗しつつ

 ガンジス川流域へとドラヴィダ族を駆逐し南下し始めた。

 クリシュナの神話においてはヤーダヴァ族も

 クルシュトラの戦の伝説にあるように、

 アーリア人の世界と共同しながらも、
 
 内部的紛争を繰り返し、遂にアーリア人の勢力に圧迫され、

 本拠地であったマッヤを退去し、

 グラジャラートに移るが最後に撲滅されてしまう。

 その伝説によると、マッヤ国を後にしたヤーダヴァ族は
 
 グラジャラートにドラヴァラガという都を設けるが、

 内紛が尽きず、クリシュナも、

 ある狩人がクリシュナの足と見違えて射たために

 負った傷の悪化で死んでしまう。
 
 視を前にしたクリシュナは祖国に便りをして、

 やがて、ドラヴァラガが海中に没してしまうので

 人々に退避するよう警告したが、

 彼を崇めた一族はクリシュナの火葬のための炎中に

 投身自殺してしまったというのである。

 現在グラジャート半島の西の端に

 ドヴァルカという小さな町がある。

 神話ではあるが、

 ヤーダヴァ族の滅亡の際首都が水没してしまうというのは、

 yadas (大きな水棲動物)を

 名とした民族にふさわしい最後である。

 だが、現実にはヤーダヴァ族が

 全部いなくなった訳ではないであろう。

 ドヴァルカの町の人々は、

 現在でもクリシュナの子孫と称しているという。

 そして、

 その西の海に都市が沈んでいると言い伝えているのである。

 《参考》

 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿、牛頭、空白の布幕、幕と婦人、マルタ十字紋等
 (アルパチア遺跡出土の碗形土器に描かれている) 
  
 牛頭を象った神社建築の棟飾部

 Tell Arpachiyah (Iraq)
 Tell Arpachiyah (Iraq)    
 ハラフ期の土器について
 ハブール川
 ハブール川(ハブル川、カブル川、Khabur、Habor
、Habur、Chabur、アラム語:ܚܒܘܪ, クルド語:Çemê Xabûr, アラビア語:نهر الخابور Bahr al-Chabur
 ARPACHIYAH 1976
 高床式神殿
 牛頭を象った神社建築の棟飾部
 神社のルーツ
 鳥居のルーツ

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