2015年8月6日木曜日

綿津見と豊玉彦

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 『日本創世紀』:倭人の来歴と邪馬台国の時代小嶋秋彦
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 出典:歴史学講座「創世」 小嶋秋彦

 ≪アズミ族の正体≫綿津見と豊玉彦

 綿津見神・少童神「ワタツミ」

 『古事記』綿津見神

 『日本書紀』少童神

 『延喜式』神名帳

 対馬島 上縣郡 和多都美神社【名神大】、和多都美御子神社【名神大】

     下縣郡 和多都美神社【名神大】、和多都美神社【ワタツミノ】

 綿・和多「ワタ」

  (Grk.)βνθοs「buthos」(海の)深み、(一般に)深み、底

               ※zikum-engurに対応

  (Grk.)βνθιοs「buthios」海の、水中の、沈んだ、深い所にある

  (Sk.)pāthas 水、 (Sk.)ud 水

 ※「ワタ」は「深海」あるいは「海」と解釈される。

 津見・都美「ツミ」

  (Sk.)dhaman住居(神々の)領土。

  この用語は「住者」とも解釈される。

  (Sk.)dyu-dhāman「天上の住者」つまり「神」として用いられる。

  (Sk.)toya-dhāman「海の住者」つまり「海神」である。

 ※これは「豊玉トヨタマ」の祖語である。

 ※「ワタツミ」は

   (Grk.)buthios

   (Sk.)pāthasとdhāmanの合成語で

  「海神」を表す。

  ただし、これは後から合成された用法で原初は

  阿曇語によって始まったものと考えられる。

  つまり、dhāmanには、

  『日本書紀』少童神、

  『万葉集』海若と表記された「童」「若」の概念が無い。

 「ツミ」は阿曇語のdumu「子供」を祖語する。

 しかし、阿曇語の「海」に係わる用語は

 上記のengurあるいはa-ab-ba「海」に限られ

 「ワタ」に対応する用語は無い。

 和多は「カタ」と訓むことができる。

  「カタ」kit「葦むしろ(マット)」。

  勝山、御笠山、衣笠山の「カツ」「カサ」

  「カタツミ」kit-dim₃「葦むしろ(マット)作り工」、

  船用の葦むしろ(マット)を作る職工を表す。

  あるいは

  kit dim

  「葦むしろ(マット)-帆柱(マスト)」:

  「帆柱の葦むしろ」=kit dim「葦むしろ-柱)」

 ※阿曇族の祖先は葦を用い船や家屋を作って生活に用いた。

  つまり、豊葦原や中津葦原の概念に結びつく背景がある

  (シュメル時代の生活様式)。

  Ki-en-gi「土地-の-葦=葦原=シュメルを表している」

 ※阿曇族(eš-ma₂)はシュメル人の後裔である。

  「カタツミ」とは、

  そのような阿曇族の祖先が葦船に頼って生活していたことの

  伝承に従い、葦船を神聖視し、崇拝する信仰から始まったもである。

  牧往社(神社)【牧ノ内ともいう】勝馬にある。

  牧の神大明神(福岡市西区能古島)、牧神社(壱岐島郷ノ浦町)

  「マキ」ma₂-gi「船-葦」葦船 勝馬「kit-ma₂」と同義。

 ※文法的にはgi-ma₂「葦-船」

  能古(のこ)島(志賀島の南方、博多湾の島)

  「ノコ」nu5-gur葦の容器、葦船を指す「籠」。

  Gi-ma₂「葦-船」=kit-ma₂「勝馬」「勝間」

  『古事記』上巻神代(海幸彦と山幸彦)火遠理命の海神の宮訪問

  爾に監椎神、「我、汝命の為に善き議を作さむ。」と云ひて、

  即ち无間勝間(まなしかつま)の小船を造り、其の船に載せて、

  教へて曰ひしく、

  「我、其の船を押し流さば、差暫し往でませ、味し御船有らむ。

   乃ち其の道に乗りて往でまさば、魚鱗の如造れる宮室、

   其れ綿津見神の宮ぞ。

   其の神の御門に到りましなば、

   傍の井の上に湯津香木(かつら)有らむ。

   故、其の木の上に座さば、

   其の海神の女、見て相議らむぞ。」といひき。

 『日本書紀』神代下・一書

  老翁の曰さく

  「復な憂へましそ。吾当に汝の為に計らむ」とまうして、

  乃ち無目籠を作りて、彦火火出見尊を籠の中に内れて、

  海に沈む、即ち自然に可伶小汀有り。是に籠を棄てて遊行でます。

  旬に海神の宮に至りたまふ。

  籠「カゴ」gur-gi「容器-葦」、gi-gur「葦の容器」

 ※仁位(豊玉町)

  地名の由来は、

  美しい玉を意味する瓊(に)から仁位になったといわれている

  (津島記事)。

  地内の堂ノ内、貝吹壇、仁位浜などに

  弥生時代~古墳時代の遺蹟がある。

  西の天神山は古代に烽が置かれ、天神神社があった。

  仁位浦の西岸に、

  式内社の和多都美神社に比定される和多都美神社があり、

  社叢は昭和51年県天然記念物に指定された。


 ※鹿見:ししみ(上県町)

  鹿見湾は韓神埼の内側に北向きに開口した良港で、

  西海岸屈指の泊地として知られる。
 
  地名の由来は

  深い山中に鹿が郡をなして満ちていることを訛っていったとか。

  鹿火の意味によるかと伝えられる(津島記事)

  zikum

   「トヨタマ」toya(Sk.)水 〔漢訳〕水、海、蒼溟
    ║    (Sk.)pāthos 水 (Sk.)ud 水
  和多都津見「ワタツミ」 
       dyu-dhāman 天上の住者、神=dyu-dhāma
       dhāma〔超人的存在の一種〕
       toya-dhāman 海の住者、海神〔海に住む神〕=toya-dhāma

  「ワタ」(Grk.)βυθοζ(buthios) 〔海の〕深み、
        ※zikum,engurに対応 ◎渤海

  「ツミ」(シュメル語) dumu 子供、童、少童

  「ワタツミ」海の童、buthios-dumu

 「粕屋郡:かすやぐん」

 粕屋郡、糟屋、糟谷、滓屋とも記される。古代~現在の郡名。

 筑前国および福岡県の郡の一つ。

 『和名類聚抄』では「加須也」と記しており、

 その訓は「かすや」であろう。

 京都・妙心寺の梵鐘銘に

 「戌戌年(698)四月十三日壬寅収糟屋評造春米連広国鋳鐘」

 とあるのが初見。

 「古代」『和名類聚抄』の郷は香椎、志珂、厨戸、大村、池田、

 阿曇:あづみ、柞原、勢門:せと、敷梨の九郷。

 当郡須恵付近に夷守駅があったらしい『延喜式』。

 式内社香椎宮は仲哀天皇を祀ったものといわれるが、

 古来祭神は神功皇后とされ、

 新羅との関係が悪化するごとに朝廷から奉幣使が派遣された。

 神門の前の神・木綾杉は神功皇后が朝鮮出兵から帰還し、

 鎧の袖の杉枝を挿したのが生長したという。

 古代創建を伝える寺社は他に

 志賀海神社、宇美八幡宮、勝馬神社、武内宿祢社、

 若杉神社、天降神社、独鈷寺、清滝寺などがある。

 「志賀海神社

 祭神は底津綿津見神、中津綿津見神、表津綿津見神。

 海の中道から志賀島へ渡った入口にある集落の奥まった山手に位置する。

 付近には縄文時代の遺跡も存在し、

 当地は古来北九州の海上一帯を中心に海人を支配し、

 全国的に活動の跡がみられる阿曇氏の本拠地でもある。

 祭神はこの阿曇氏の祖神とも奉斎神ともされており、

 今日の神主家もこの一族である。

 志賀島大明神を宗像大菩薩御縁起(神道大系神社編宗像)や

 八幡愚童訓(思想大系)は神功皇后の三韓出兵の舵取りをしたと記す。

 「仁位(豊田町)」

 地名の由来は、

 美しい意味する(瓊に)から仁位になったといわれている(津島紀事)。

 地内の堂ノ内、貝吹壇、仁位浜などに弥生時代~古墳時代の遺跡がる。

 西の天神山は古代に烽火が置かれ、天神神社があった。

 仁位浦の西岸に、

 式内社の和多都美神社に比定される和多都美神社があり、

 その社叢は昭和51年県天然記念物に指定された。

 「鹿見:ししみ(上県町)」

 鹿見湾は韓神崎の内側に北向に閉口した良港で、

 西海岸屈指の泊地として知られる。

 地名の由来は深い山中に鹿が群れをなして

 満ちていることを訛っていったとか、

 鹿火の意味によるかと伝えられる(津島紀事)。Zikum


 「トヨタマ」 toya(sk.)水 [漢訳]水、海、滄溟(sk.)pa-thos 水(sk.)ud

 和多都美       dyu-dha-man 天上の住者、神=dyu・dha-ma
       
 ワタツミ       dha-ma[超人的存在の一種]

        toya-dha-man 海の住者、海神[海に住む神]=toya-dha-ma

 「ワタ」(ギリシャ語)βυθοs(buthios) [海の]深み、[一般に]深み
                     ※zikum,engurに対応◎渤海

 「ツミ」(シュメル語) dumu 子供、童、少童

 「ワタツミ」 海の童 buthios・dumu=pa-thos・dumu

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