2015年8月1日土曜日

『アズミ族の正体』①諏訪〔長野県〕

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 『日本創世紀』:倭人の来歴と邪馬台国の時代小嶋秋彦
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 ※出典: 『日本創世紀』:倭人の来歴と邪馬台国の時代小嶋秋彦 195~196頁

 ≪アズミ族の正体≫①諏訪〔長野県〕

  この二つの漢字で

 「スワ」を表記するようになったのはそう古いことではない。

 その字義は

 「言葉を受け取ったり放ったり」で「会話」「相談」である。

 シュメル語で

 それを sa-bal〔真中・交わる〕の「交換する」の概念である。

 ただし、『古事記』に「須波」とあるのは

 サンスクリット語の svar〔suvar:天〕に依る。

 諏訪湖から流れ出す天竜川名は、その「天」に依る。

 和名類聚抄信濃国諏訪郡の郷名「土武」は

 シュメル語の dum〔大工〕また「佐補」 は

 同 za-ab〔地下水〕に依る。

 前者は諏訪大社の最古の奉祭氏族「守屋」「守宅」と表記される

 mar-e〔作る-神殿〕名であり、

 「千勝、千鹿頭」 は the-du〔柱・建てる〕で

 同大社の大祭「御柱祭り」の起源名である。

 また主要氏族名「神氏」の「ジン」は

 gin 及び茅野市名の「チノ」 tun と同一で

 双方とも「斧」を基としている。

 古代においては大工の最も重要で技術のいる道具であった。

 漢字「茅野」は「茅」が「葦」で

 「葦野」は ki-en-gi〔土地-の-葦〕とした

 シュメルの古代名で同地に「葦原」の人たちが

 移転してきたことを示している。

 また後者の郷名「佐補」は

 諏訪市内の「有賀:アルカ」が ar-ka〔地面を掘る-口〕で

 「井戸を掘る」を意味する。

  因みにそこの地名「県:アガタ」は

 サンスクリット語の agada で「井、泉」である。

 「蟻」を「アリ」というのは彼等が地面に穴を掘るからである。

 「モリヤ」を「洩矢」とする理由は mar-e〔作る-井・泉〕に依る。

 「洩」は「水が湧き出る」の意義である。

 その洩矢氏が大事にしてきた秘法のうちに

 「蟇目神事法」 なるものがある。

 春の初め、諏訪大社上社近くの川床の地中から

 冬眠中の「蛙」を獲ってきて神に奉るという神事である。

 「蟇目」とは「蟇蛙」のことで、

 あのアプカッルあるいはアダハ名に係り、

 諏訪の一族はメソポタミアに関係している。

 茅野市内に「阿久」との地称があるが、

 これは uh〔蛙〕の音写である。

 阿久遺跡からはその蛙の意匠をつけた縄文土器が出土している。

 つまりシュメルの人々がここに入ってきたのは

 紀元前縄文時代晩期の終末期といえる。

 郷土史研究家の藤森成吉氏が

 縄文期に農業があったとの見解を発表されているが、

 多分その渡来して来た人々によって

 栗などを意図して植え始めたものと推測される。

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