2012年6月25日月曜日

2世紀より前からあった蘇奴国



 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録12:23頁

 《2世紀より前からあった蘇奴国
 「2世紀より前からあった蘇奴国

 では旁国時代にはそれはどの辺りにあったか。

 この『倭名類聚鈔』の宮崎県を指す

 日向国の諸縣(もろがた)郡には、

 現在は鹿児島県曽於郡に入っている財部(たからべ)がある。

 一方、

 囎唹郡には志摩があるが諸縣(もろがた)郡にはない。

 さきにみた斯馬国の嶋津の庄は

 いまの宮崎県・都の城市で、

 曽於郡と隣りあっているから、

 この志摩は嶋津の庄である。

 これをみると国境は不動のものではない。

 いくらでも位置を変えるので、

 こんなに入れ代わったのである。

 ここでは斯馬国が蘇奴国といかに隣接していたかを、

 よく実感しておいて戴きたい。

 この蘇奴国は、いっごろから存在していたかも記録に残っている。

 前にも繰り返し高句麗は鹿児島県が本拠だったことをお話ししてきたが、

 『三国史記』の高句麗本紀・太祖大王の「宮」

 (陳寿の『魏書・東夷・高句麗章』は位宮の祖父だと書く)

 20年春2月の記事に

 「伐 藻那 虜 其王(ソナを討ち、その王を捕虜にした)」と書いてある。

 宮の名乗りは「宮之城の王」だから、

 このソナ国は蘇奴国以外にはない。

 助詞のノとナは変わるがソは国名の主語だから

 発音が同じなら同一の国である。

 近い時代に同じ地域に同じ名のソの国が、

 幾つもあることは絶対にないからである。

 蘇奴国は宮の時代にはすでに存在していたのだ。

 宮は後漢の本初元年(146)に老齢で退位しているから、

 卑弥呼即位よりはるか以前だ。

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