2013年12月6日金曜日
仁徳天皇の兎はパーリ語のササの訳
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録30:21頁
では仁徳天皇は、
何故?兎などという名乗りをもっているのであろうか?。
『日本書紀』はその名の由来を次のように書いている。
天皇が生まれた日、
「木菟=ミミヅク」が産殿に飛び込んだ。
同じ日、大臣の武内宿祢の家でも
「鶺鷯=サザキ=雀」がやはり産室に飛び込んで子供が生まれた。
応神天皇と武内宿祢は
「これは瑞祥だから、この鳥の名を子供たちの名にしよう。
ただし深い因縁を後世まで伝えるために、
互いにその名を取り換えてつけよう」と
いってつけたのがこの名だというのである。
これは仁徳天皇が
「オオサザキ=大鶺鷯・大雀」
という鳥の名をもっていることの説明で、
兎という名の説明ではない。
むしろ武内の子の木菟宿祢のほうが菟=兎の名をもつことになり、
何のための名替えかわからなくなる。
この兎の名の真相は『日本書紀』の筆者が知らなかった所にある。
それは彼のその名は
パーリ語の兎=sasa(ササ〉だったのである。
「オオササキ」が正しくて、
オオは倭、ササは兎、キは王ということになる。
このササに讃の字を当てたことから、
彼の新領土が大讃岐=阿波讃岐と書かれ、
大山祇という当て字も生まれて、
いっそう何のことかわからなくなり、
『日本書紀』筆者の「名替えの謎解説」が生まれたのである。
だがパーリ語も、その名の意味もよく知っていた
『古事記』の筆者は、流石(さすが)に何も書いていない。
《仁徳天皇の兎はパーリ語のササの訳》
「仁徳天皇の兎はパーリ語のササの訳」
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