2013年12月20日金曜日
これもお伽話が解いた『出雲神話』の謎
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録31:5頁
『新撰姓氏録』をみれば、仁徳天皇系の子孫が、
全く官位に就いていないことがわかる。
これは何故か?と心にとめていれば、やがて仁徳天皇の巨大な墓と、
その建造者の没落とが蓋鹵王事件という現実のものとして展開し、
史実が疑問の余地のない答として返ってくる。
その一族の行方は?と問えば、サカ→サタが「出雲」を指し示す。
するとすぐ出雲神話が頭に浮かぶ。
そこに登場するのは仁徳と同じ名をもつ「ウサギ 菟」である。
彼は「海ワニ 海和迩」を騙して海を渡ったが、嘘がばれて皮を剥(は)がれる。
八十神たちが治療法を教え、その通りにするが、返って傷が悪化したが、
八十神の荷物を担いで遅れてきた大穴牟遅神に、真水で身を清め、
蒲黄(ガマのホ)を敷き散らして、その上に転がれば治ると教えてもらって助かる。
これは倭の五王が、倭人の海人族を使って国土を広げ、
ついに大阪湾を渡って近畿地方に入ったが、
興の失政の結果、赤裸(あかはだか)にされて追放され、
出雲にたどり着いたのを、水禊(みそぎ)をし、
粗末な衣服で満足する宗教生活を教えられて、
何とか王の地位を保つことができた、
という「歴史の説話化」または「お伽話化」であることは言うまでもない。
だからそれは「出雲神話」などと呼ばれてきたが、
実体は5世紀の史実が変形したもので、
決して、
これまで思い込まれていたような、
有史以前の神話などではなかったのである。
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