2013年12月22日日曜日
『記・紀』盲信はなぜ?極悪の文化財破壊なのか
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録31:6頁
だが、この問題を、
「なるほど、そう言われてみれば、そうだな。
しかしその程度のことは少し考えればわかる問題にすぎない」などと
思って済ませてしまってはいけない。
なぜか?。
蓋鹵(コウロ)王=倭王・興は滅んだが、
その弟・武が高句麗に立ち向かって逃げ込んだ奈良県の高市を
本拠に現大阪府の奪回を計った。
そのときの中国・宋への手紙が『宋書』に残った彼の上表だったことは、
すでに完全に史実として私たちの知識の中にある。
そこには
「句驪(クリ)(高句麗)無道」にして
「天路を壅塞(ようそく)(宋への道をふさぐ)」と書いて、
高句麗・長寿王が九州から中国を占拠していた史実まで明瞭に述べている。
それなのに『記・紀』はこれらの「史実」を、全然、一字も書いていない。
このことと、前記の歴史のお伽話化とから、
私たち日本人にとって非常に重要な「結論」が出る。
以上の事実からだけでも、
『記・紀』がどの程度の欠陥『史書』か、明瞭に結論できるのである。
だから在来国学者のように、粗雑な思いっき解釈だけで、
『記・紀』そのものを盲信することは、
良くも悪くも奮闘努力した先祖たちの事跡を、
ありもしない幻影と取り換えて抹殺、私たちの建国史を汚(けが)し、
放棄してしまうことなのである。
この行為は出土品を私物化したり、粉砕したりする程度の文化財破壊とは、
比較にならないほど極悪の文化財破壊なのだ。
《『記・紀』盲信はなぜ?極悪の文化財破壊なのか》
「『記・紀』盲信はなぜ?極悪の文化財破壊なのか」
『My ブログ』
スメル8千年
古代メソポタミア
歴史徒然
ウワイト(倭人):大学講義録
ウワイト(倭人)大学院講義録
オリエント歴史回廊(遷都)
古代史つれづれ
古代史の画像
ネット歴史塾
古代史ブログ講座
ネット歴史塾
ひねもす徒然なるままに
「終日歴史徒然雑記」
「古代史キーワード検索」
《参考》
古代時代の考古学の最新発見・発表・研究成果
最新の考古学的発掘の方法
存在価値が問われる我が国の発掘考古学の現状
《装飾古墳》
「装飾古墳」
《考古学の最新発見》
「考古学の最新発見」
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿