2013年12月17日火曜日

和泉(イズン)人が逃げ込んだから出雲(イズン)が生まれた


 『Yahoo!天気・災害

 『出典』言語復原史学会加治木義博大学講義録30:32頁

 しかしまだ

 「どうして守口の太守が出雲まで逃げたと断定できるのだ?、

  その佐太の大神は出雲神話の神で、

  前に見たギリシャ神話のアポロンの幻影じゃないか」

 という反発がありそうである。

 これには前にお話しした

 「名詞と事件のセットの存在が動かない証拠になる」という教訓の実例を、

 ここでももう一度ご覧に入れることにしよう。

 サタへの当て字は、佐多・佐田・佐太と地域によって変わる。

 ところが出雲のサタは守口の佐太をそのまま使っている。

 そして「大神」という名乗りも

 「太守(オオカミ)」と同じ発音をもっている。

 また嵯峨からの異常な長距離が、

 異常な祖国滅亡という事態に、ぴったり合っていて不合理がない。

 この3点のセットにさらに有力なものが残っている。

 それもまた地名である。

 それはほかでもない、「出雲」だ。

 出雲は前にもお話しした通り、

 南九州発音「イズン」への当て字としては、

 鹿児島の出水(イズン)よりも、

 はるかにピッタリした

 「出(イズ)と雲(ウン)」の組み合わせで、

 最も進化した当て字である。

 それはイズンへの当て字中で最も新しいものだ。

 疑いなく南九州出身の仁徳系の人々の発音は、

 近畿に移動しても変わらなかったことを、

 新しい当て字を使った「和泉(イズン)」が証明している。

 当時は和泉もまた「イズン」と発音されていたからこそ、

 新たな佐太の大神の移動先に、

 そのイズンに完全に合う「出雲」が当てられたのである。

 《和泉(イズン)人が逃げ込んだから出雲(イズン)が生まれた

 「和泉(イズン)人が逃げ込んだから出雲(イズン)が生まれた

 『My ブログ』
 スメル8千年
 古代メソポタミア
 歴史徒然
 ウワイト(倭人):大学講義録
 ウワイト(倭人)大学院講義録 
 オリエント歴史回廊(遷都)
 古代史つれづれ 
 古代史の画像
 ネット歴史塾
 古代史ブログ講座
 ネット歴史塾
 ひねもす徒然なるままに    
 「終日歴史徒然雑記」
 「古代史キーワード検索」

 《参考》
 古代時代の考古学の最新発見・発表・研究成果
 最新の考古学的発掘の方法
 存在価値が問われる我が国の発掘考古学の現状

 《装飾古墳
 「装飾古墳
 《考古学の最新発見
 「考古学の最新発見

0 件のコメント:

コメントを投稿