2013年12月4日水曜日
超文化財「宇佐」の秘密
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録30:19頁
では、
その次に明瞭な九州から四国への渡海の遺跡「佐賀の関~佐田岬」の
<サカ~サタ>はいつの時代の誰のものか?…考えてみよう。
倭の五王の初代・仁徳天皇が
四国を征服して末端の阿波と讃岐を名乗りにしていたことは、
すでに充分な検討を済ませている。
その出発点はどこだったのだろう?。
佐賀の関は大分県だが、
同じ県に旧官幣大社・「宇佐神宮」がある。
その別名を<宇佐八幡>と言うとおり、主祭神は応神天皇になっているが、
鹿児島神宮の八幡=応神とヒルコの命と同様、こちらもまた問題がある。
それは「宇佐」というのは地名だとして、
従来、何の関心ももたれていなかったが、
この二文字こそ、
実に重大な史実を証言する「超」のつく文化財だったからである。
神宮の社記にはこの宇佐の名は、
「第二神殿に祭られている比売大神とは、
多岐津姫尊、多紀理姫尊、市岐島姫尊の3女神で、
天孫降臨に先だって、今は大元山という
「菟狭(うさ)島」に天降って天孫を助けたのでウサというのだ」
というふうに書かれている。
この3女神が実は一人で、
壹與のことだと私たちはよく知っているから、
応神天皇に対する神功皇后であって、
この地域の平定者だったとしていい。
ただ問題なのは、
このウサの名乗りをもつのは応神天皇ではなくて、
その子の仁徳天皇だという点である。
《超文化財「宇佐」の秘密》
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