2013年12月24日火曜日
坂井・堺・坂名井は「釋迦王(サカイ)」の都
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録31:9頁
これでは一つのものに二つの語源があって、どちらが正解か迷うが、
それは多言語国家の時間差の結果で、真相は不可解なものではない。
まず「王」を「イ」と呼ぶのはマレー語である。
今の私たちは、
これまでお話ししてきたことでおわかりのように、
複数の言語が混入しているのに、
それらの語源がどこの言葉か知らずに、
全部日本語だと思って使っているが、
卑弥呼当時も同じだった。
壹国(イチマ)を伊支馬(イチマ)という人と、
壹国(サツマ)(マレー語)=薩摩と呼ぶ人とが混じり合って住んでいて、
便利さえよければ区別せずに使っていたのである。
「時間差」というのは、
佐賀にいた当時は首都人だった倭(ウワイ)人が、
佐賀の関に移り、
四国へ渡った時代には、
衰えて単なる釋迦教徒に過ぎなくなっていた、
という時代差なのである。
そこではもう、サカイとは呼んでもらえなかったが、
大阪府まで進出して百舌鳥耳(モズミ)原皇朝を樹立した当時は、
昔に勝る都をもち、
堺都(サカイト)=釋迦王都(サカイト)と呼ばれたから
後世までサカイの地名が残ったのである。
この見方だと、種子島の坂井も、また継体天皇の出身地「坂名井」も、
ともに「釋迦の(ナ)王」を意味する地名だったと理解できるようになる。
念のためパーリ語をみるとsakaは「自分の」という形容詞。
サガはない。
マレー語では
sakaは「柱・血統」、
sagaは「木の名」で、どちらも無関係である。
《坂井・堺・坂名井は「釋迦王(サカイ)」の都》
「坂井・堺・坂名井は「釋迦王(サカイ)」の都」
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