2013年3月14日木曜日
「弥生時代」が始まった地点
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録21:19頁
《「弥生時代」が始まった地点》
「「弥生時代」が始まった地点」
ではなぜ?、
北部九州の稲は、中国から朝鮮半島経由で伝わったと信じられていたのか?。
それには研究と発表の粗雑さと、陸稲も水稲も原産地も区別できない
「稲作文化」などという用語の粗雑さが、
重大な錯覚を生み出す原因になった事実を、
お話しする必要がある。
1980と1981年(昭和55、56年)に
福岡県から佐賀県にかけての
玄界灘沿岸遺跡の発掘調査が行なわれたが、
福岡の曲り田。
佐賀の菜畑などの縄文晩期の遺跡から、
大陸系磨製石器と金属器や糸撚(よ)り用の紡錘車(ぼうすいしや)、
少量の大陸系土器などと共に、炭化した籾が見つかった。
これが
「稲作文化は朝鮮半島から北西九州に伝わった」動かぬ証拠だと発表され、
大陸系の磨製石器や金属器は中国文化だから、
それらと稲とが一体になった「稲作文化」は、
中国から朝鮮半島へ、そして北九州へと伝わったのだ。
と断定的に思い込み、
それはもう絶対に覆えることのない正しい「定説」だと信じこまれて、
自信に満ちて発表されたのである。
たしかに中国では少なくとも5000年以上前から稲が栽培され、
野生種も各地で見つかっている。
「稲は中国か原産地だ」といっても間違いではない。
産物名が主産地の名と共通するのはカボチャやモロコシがいい例だが、
イネ・イナと殷帝国のインも同じで、3000年以上前に確かに稲作をしていた。
だから中国が「稲作文化」の先進国だったのは真実である。
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