2013年3月17日日曜日
弥生時代を開いたのはマガダ文化
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録21:22頁
《弥生時代を開いたのはマガダ文化》
「弥生時代を開いたのはマガダ文化」
さらに前ページでもう一つ出た結論は、
イン・イナ・イネという名は3000年前からあった
日本語だということである。
それでなければ在来の説のように、
「稲作文化」が縄文晩期以前は中国だけの文化で、
朝鮮半島経由の渡来人たちが縄文晩期に
「初めて」九州北部に移植した文化だとすれば、
稲は決してイン・イナ・イネと呼ばれるはずがない。
なぜなら、
なにも新しい日本名を無理して付けなくても、
鉄はテツ、金銀はキンギンと
中国語のままで便利に使われている。
稲も米も中国名のまま
「稲=トウ」や朝鮮語の「米=サル」と呼べばいい。
それは現代のラジオ、テレビ、パソコンなどと同じことだからである。
また動かぬ証拠品として、
形のある「物体」としての炭化米が、
縄文時代のかなり早期の遺跡から、
今も続々と発見され続けていて
「稲作文化」渡来期の上限を更新し続けている。
「稲作文化」は
「縄文晩期に、中国から朝鮮半島を経て九州北部から始まった」
のでないことはいうまでもない。
そんな説は完全に間違っていて「定説」どころではない。
では弥生時代を開いた九州の水稲文化はどこから来たのか。
それはその遺跡が明確な記録を残している。
南九州では「曲田」姓はマガタと読みマガダへの当て字だから、
福岡の遺跡「曲り田」は後世の読み替えである。
我が国の弥生時代はアソカ宣布団が運んで来たのだ。
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