2013年3月13日水曜日
縄文・弥生期の東アジア稲作遺跡
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録21:17~18頁
《縄文・弥生期の東アジア稲作遺跡》
「縄文・弥生期の東アジア稲作遺跡」
水稲稲作の移動は荷物を運ぶような簡単なものではない。
それが理解できると、次ページの
「魏代(卑弥呼当時)より前、戦国時代より後の中国と
それ以東で古代米が出土した遺跡の地図」が正しく読める。
在来説は今の北京(ペキン)より
まだ北東にある高句麗から朝鮮半島に入った水稲稲作が、
次第に南下して遂に海を渡って九州北部に広まったというのだが、
この地図ではっきり見てとれるのは、
その北京以東、朝鮮半島のソウルに至るコースには、
水稲は愚か、陸稲の栽培跡も、
炭化米や籾殻すら全く出土しないという事実である。
さらに注意が必要なのは、この地図の古代米は水稲に限らない。
陸稲でも何でもとにかく米の遺物が見つかった場所を表示したものである。
「地図」
古代米出土先史遺跡
戦国・漢・魏代稲作関係地名
するとすぐ気づくのは、熱帯ヤポニカが栽培できる南中国に、
古代米の出土遺跡が、たった一例しかないという事実である。
その南中国に比べると、
はるかに北にある日本列島には熱帯ヤポニカがあったのだから、
ソナカらが南中国経由で日本に来たのなら、
淅江(セッコウ)、福建(フッケン)、広東(カントン)といった亜熱帯地方は、
この地図なら真っ黒になるほど古代米出土遺跡があるはずである。
それがないこともまたソナカのコースは南海まわりの海上コースだったと立証している。
朝鮮半島出土の米が熱帯ヤボニカなら、
それは同族である倭人政治圏=九州以外からは絶対に入らないのである。
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