2013年3月15日金曜日
殷帝国の神聖な聖地・常陸(ひたち)の国「稲敷(いなしき)」
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録21:20頁
《殷帝国の神聖な聖地・常陸(ひたち)の国「稲敷(いなしき)」》
「殷帝国の神聖な聖地・常陸(ひたち)の国「稲敷(いなしき)」」
前記の『日本人のルーツ』にも書いておいたが、
その殷の都の跡は今も明瞭に残っていて殷墟と呼ばれているが、
正確に北緯36度線上にある。
その線上を実っ直ぐ東へ進んで、キッカリ2200kmの所は茨城県稲敷郡で、
「イナ=殷」「シキ=儀式」とみると、殷とって重要な聖地だから、
3000年前に大変な測量をして、都と聖地を配置した形になっている。
そればかりではない。
その稲敷郡の中でも、
阿見(アミ)という特殊な名をもつ町には「福田貝塚」があって、
そこから出土したダルマ型の水差し(西宮市辰馬史料館蔵)は二本の角のある人の顔があり、
臍(へそ)のあたりに土瓶の口があった痕跡の穴があるので
「人面注口器」と呼ばれているが、
一方の殷墟からもこれと僅かな違いしかない、角も顔も注ぎ口もあり、
手や模様など重要な点が20以上も共通している
青銅器「人面盉」(米国フリア美術館蔵)が見つかっている。
殷と稲敷の間には、切っても切れない関係があったことは疑う余地がない。
これで殷帝国にはどんな信仰があったのかもわかる。
それは太陽が昇るのを拝むもので、
太陽を神とする信仰だった、なぜ?そんなことがわかるか?。
それは茨城の古名が記録しているからである。
「ヒタチの国」とは、日が発(た)つ場所=日の昇る国である。
それは殷の人々が
「毎朝拝む日の神が昇天する神聖な場所」だったことを記録した「名」以外にない。
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