2013年3月21日木曜日
天孫降臨の笠沙にある最古の棚田遺跡
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録21:26頁
《天孫降臨の笠沙にある最古の棚田遺跡》
「天孫降臨の笠沙にある最古の棚田遺跡」
さらに見落としてならないのは、
水稲栽培技術の究極は「棚田(たなだ)」を実現したことであるが、
その最古の遺跡が鹿児島県の天孫降臨の伝承地・笠沙の一部にあるという事実である。
私(加治木義博)は40年ほど前に、同地出身で同学の親友片平武三氏と現地調査をした。
この棚田は後世の長野県などのものに比べると、はるかに小規模ではあるが、
技法はすでに確立されており、鉄器の不自由だった弥生初期に、
水稲稲作の先進国だけがもつ英知、進んだ技術が
そのまま南九州に入ったことを立証していた。
これは『紀・紀』の天孫降臨の伝承をもつこの地域が、
その伝承のまま、
北部九州よりも水稲稲作先進地だった証拠である。
発掘考古学者が無視したこうした遺物もまた、
軽率な中国→朝鮮→北部九州説を完全に消去する力をもっている。
この笠沙と一体になった
南九州西岸、吹上砂丘の東部、海岸から約2.5kmの地点に、
地図に記入した高橋貝塚がある。
ここは縄文晩期から弥生前期にかけての遺跡で、
出土品の甑(こしき)=(穀物を蒸す土器)に、
土器を作る際に付着した熱帯ヤポニカ稲の籾(もみ)の跡が、
幾つも付いているのが発見された。
また同時に発見された石器には
稲作関係の器具が完備して稲作文化の実在を証明し、
鏃(やじり)の残骸らしい鉄器片まで出土しているのに、
土器は高橋Ⅰ式とⅡ式という、
北部九州の板付式土器と共通点の多い土器だけが出土して、
大陸系のものは一つもない。
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