2013年3月16日土曜日
殷代から金印の委奴国までの稲作文化遺跡
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録21:21頁
《殷代から金印の委奴国までの稲作文化遺跡》
「殷代から金印の委奴国までの稲作文化遺跡」
」
植物名としての「イネ」は確かに「イン」のものだった。
阿見町から牛久(うしく)町を隔てた町は伊奈(筑波郡)だ。
このイナの地名は、」
いまの町村単位以上のものをあげると次のようになる。
1 稲垣(イナガキ)村(青森津軽)
2 稲川(イナカワ)町(秋田)
3 猪苗代(イナワシロ)(福島)
4 印旛(インバ)郡(千葉)
5 稲城(イナギ)市(東京)
6 引佐(イナサ)郡(静岡)
7 伊那(イナ)地方(長野・岐阜)
8 稲沢(イナザワ)市(愛知)
9 稲武(イナブ)町(愛知)
10 員弁(イナベ)郡(三重)
11 印南(イナミ)町(和歌山)
12 伊根(イネ)町(京都)
13 猪名川(イナガワ)町(兵庫)
14 稲美(イナミ)町(兵庫)
15 因幡(いなば)国(鳥取)
16 稲築(イナツキ)町(福岡)
これらが稲を意味することは、
阿波=粟(アワ)、
吉備(キビ)、
牟岐(ムギ)、
日吉(ヒエ)などの
穀物地名が立証している。
最後の稲築のイナツキという発音は、
その福岡県から出土した『漢 委奴 国王 印』と
彫られた金印と比較すると、
「イナ=委奴」「ツ=津=の」「キ=王、または城」と
完全に一致する。
そこは福岡県でも
「嘉穂郡=目出度い・素晴らしい・穂=稲の国」という名をもった地域である。
委奴国は「稲の国」だったのであり、
それは弥生時代をひらいた水稲文化の発祥地に、
最もふさわしい国名だったことに異議はない。
3000年以前の殷の聖地「稲敷」のイナと、
B.C.E.3世紀の「稲築」と、
2つの稲の発祥地があることになるが、それは不思議ではない。
水田跡の分布からみても
殷の稲は「陸稲」であったことは疑いの余地がなく、
委奴の稲は「水稲」だったことも疑いがない。
はっきり区別がつくからである。
『My ブログ』
スメル8千年 古代メソポタミア
歴史徒然
ウワイト(倭人):大学講義録
ウワイト(倭人)大学院講義録
オリエント歴史回廊(遷都)
古代史つれづれ
古代史の画像
ネット歴史塾
古代史ブログ講座
ネット歴史塾
ひねもす徒然なるままに
「終日歴史徒然雑記」
「古代史キーワード検索」
『特定非営利活動法人森を守る紙の会: NGO-SFP』事務局長:金原政敏
《参考》
古代時代の考古学の最新発見・発表・研究成果
最新の考古学的発掘の方法
存在価値が問われる我が国の発掘考古学の現状
《装飾古墳》
「装飾古墳」
《考古学の最新発見》
「考古学の最新発見」
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿