2013年3月10日日曜日
水稲といっしょに来た弥生人
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録21:14頁
《水稲といっしょに来た弥生人》
「水稲といっしょに来た弥生人」
弥生文化が水稲といっしょにやって来たことは、
だれでも知っている。
いまタイ国からビルマヘかけての山地民族を調査してみると、
そこでは細長いタイ米(上・インディカ種)ではなく、
日本米(下・丸いヤポニカ種)よりさらに見事な、
丸々とした大粒の米(中)が作られている。
日本の初期水稲遺跡は自然の湿地帯を求めて開かれている。
マレー語で水田をサワというが、まさに沢(さわ)こそ初期の水田だったのである。
タイの山地民族はこの沢を利用して水田を作る。
密林は火をかけて焼き払う。
日本も当時は森林に覆われていたから、石斧で開くことは不可能だ。
やはり焼くことから始まったと考えるほかない。
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