2013年3月12日火曜日
巨大な規模と意義と証拠力をもつ弥生水稲稲作
『Yahoo!天気・災害』
『出典』言語復原史学会・加治木義博大学講義録21:16頁
《巨大な規模と意義と証拠力をもつ弥生水稲稲作》
「巨大な規模と意義と証拠力をもつ弥生水稲稲作」
卑弥呼政権末期の弥生後期には、
こうして静岡県にまで、熱帯アジア原産の「ヤポニカ稲」が普及していた。
この事実はインド、東南アジアからの移住者が、
間違いなく実在したことの裏書きである。
この場合、
弥生時代の開幕と、アソカ宣布団の発進時期が、ほぼ一致していることは、
次のような理由から、決して偶然でなく、
アソカ宣布団の先遣隊が水稲と共に銅鐸などのインド文化、
宗教思想と器具制作者を、我が列島に持ちこんだとする以外ない。
弥生前期は先ず遠賀(おんが)川土器が北部九州に普及し始め、
水稲稲作が九州から急速に東方に広がって、
列島人の主食に米が加わった時期である。
土器は一人の技術者が製法を教えることもできるが、
稲は貴重な種子と特殊な水田を必要とし、
また長期にわたって水利を改善して守り維持し、肥料を収集生産し、
病害虫や野鳥や野獣に荒らされるのを防ぎ、手順を予知し天災に備え、
しかも生産物は主食だから、盗難を防ぎ村落を守る武装と武力も必要である。
全てに大掛かりな労働力と団結力と管理力を必要とした初期の水稲稲作は、
大規模な移民集団が来なければ、初期の栽培と拡張は実現しない。
水稲稲作の九州本土への初期分布は、
熱帯アジアからの大規模な移住者=すなわちソナカらが、
確かに東南アジアを経て、九州にまでやってきた、
そのコースを立証する確固とした証拠力をもっているのである。
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